文語日誌
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文語日誌(平成十二年八月)
     
                  谷田貝 常夫

煙突掃除
平成二十五年九月十六日




 久しぶりの倫敦を世にも好もしき街と再認識せり。緑樹の公園の多きことはさらなり、東京のごとく人を威嚇せむばかりの高層建築物の亂立もなく、家並のたたずまひの落着きが、茶色と白を基調とし他の色押へてけばけばしからざることによるも一因ならむ。偶々見かけたるマクドナルドの店、日本なれば遠くからもそれと知らるゝほどに眞赤に塗られたる店舖なるが、ここにては焦茶の澁き地に白のロゴ文字、黄色も見當らず。さすが倫敦に融けこまむとせる店と思はせたり。
倫敦文化を象徴せるものの一つがブラックキャブと通稱せらるゝタクシーなり。昔の辻馬車の傳統受繼ぎ、向ひあひ可能なる座席は山高帽にても乘らるゝ高さにて、今は車椅子も後座席の前に乘せ得るといふ。されど余に嘗てのイメイジ殘りたれば、今少し大きなる車なりしとのみ思ひこみたるが、日本の小型車並みの大きさにて、乘込まばとすぐにUターンするなどのまめまめしき動きも多く、黒以外の色も使はれをるに時代の差を感じたり。車の種類多きことも印象深し。欧羅巴車の多かりしは當然に思はれたれど、羅馬にてパトカーの日本車すばるを使ひたるにおどろき、倫敦にても日本車の數多く、マツダ、ホンダ、ニッサン、トヨタと一通りの揃ひ踏みに、心躍るを感じたるは愚かなる感傷ならむか。


 倫敦にかかはることにて以前より心に懸りしは煙突がことなり。この度の訪問にてもあなたこなたの住居の屋根上に四本五本、時には十本以上と竝びて多くの煙突林立せるを見る。日本にては絶えて見ざる光景なり。煙突とはいへど遠目には經一尺以下とかなり細き管の竝列なり。聞くに、各部屋から集められたるものなれど、今煖爐を焚く人あまりなく、よりて煙突の使はるゝこと少なしといふ。
ウイリアム・ブレイクなる英國詩人に Chimney Sweeper なる詩、二篇あり。易しき單語を用ゐて、憐れなる子供の煙突掃除を歌ひ上ぐ。母が死にたれば父は小さき子を煙突掃除に賣る。まだ幼くて sweep (掃除) と sw を發音できず、イープ weep (泣く)とのみ聲にだして、煤袋と刷毛を手に仕事に出むく。煤だらけの狹い煙突の中、寢ぬるもその煤の中なることもありたるが、ブレイクは、その子に夢を見させて、Tom was happy and warm; So if all do their duty they need not fear harm. と、誠盡くさば怖きことなしと救ひの手をさしのばす。
 十八世紀産業革命のもたらせたる倫敦の悲慘なる光景は、スモグなる語の發明せられたることよりも察し得む。都會への流入勞働者の生活を象徴するものの一つに「煙突掃除」あり。薪や石炭を焚きて煤の溜まるを放置せば、火事やガス中毒の危險もあり掃除をせねばならぬ。そこに使役せられたるが煙突の中に入り得るほどに身體小さき子供たちなり。ブレイクの詩のごとく四五歳の子供が賣られたることもあるは、ディケンズが小説『オリバー・ツイスト』にも出でくるところなり。
 耳學問によるものなれど、十九世紀の末、華麗なるオペラにて有名なるジュゼッペ・ヴェルディの歌曲「六つのロマンスのアルバム」の四は、伊太利人の作詩によるものなれど、十八世紀倫敦の煙突掃除の少年を主題とし、しかしまことに明るき曲とせる由。二十世紀に入れば、ディズニーの「メリー・ポピンズ」に煙突掃除の少年達登場す。ディケンズが、白き雪の中を行きながら、チムチムと呟く眞黒な煙突掃除少年を雀に譬へたるところを、このミュージカルにては、陽氣な、しかし煤にまみれて哀愁も籠れる歌詞としたり。ブレイク以前の言ひ傳へか否かは知らず、英國には「煙突掃除人と握手せば、その日は幸運なり」とする言ひ傳へあるをふまへ、行き交ふ紳士も淑女も煤けたる手に握手を求む。その歌詞に曰く、Good luck will rub off when I shakes ‘hands with you。幸運は俺が握手したときに、(煙突の煤のごとく)こすりおとされ、あなたの許に。
 更にこの煙突掃除人は歌ふ、On the rooftops of London coo, what a sight! 倫敦の屋根の上からは、クックー(鳩の聲)聞え、眺め最高なりと。
 倫敦の街に宿る悲哀と幸せ、そを嗜まば旅の樂しみまさるなり。
  倫敦の夏に出逢ひし驟雨かな煙突の煤洗ひ落さん


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