文語日誌
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文語日誌(平成二十四年一月)
     
                  谷田貝 常夫

ブータン國王來日に
平成二十四年一月二日




 我に小學校以來の親友ありき、今は亡き難波恆雄君なり。長きこと富山醫科藥科大にて和漢藥の教授を務めたり。
十數年ほどの昔、汝(なれ)も退職せる身なれば共にブータンに行かぬかと急なる誘ひの言あり。え、あのブータンへと言ひ返したるは、その前にNHK、テレビにて世界の祕境ブータンなる番組を流し、追ひかけるごとくに捏造なること明かされて問題になりたればなり。僞番組にてはあれど、該國に至るには驢馬に乘りて五日もかかること、難波君も諾へるところなり。同君、大阪大藥學部在學時に鳥兜(とりかぶと)を研究テーマとし、東北へ採集に行きては歸るさに東京の我が家に必ずのごとく立寄たるもの、正倉院の藥物調査の手傳を始めしよりはヒマラヤに強く惹かれ、生藥植物採取の範圍擴がり、金集めをしては幾度と無くヒマラヤへ通ふまでに至れり。過日、然る料理店にて働けるネパール女性と聲掛合ふほどの仲になりたれば、後日難波君に引合はせしに、ネパールの藥草「冬蟲夏草とうちゆうかさう」を本職としてかなり取扱ふと稱せるその女性、ことネパールの生藥採取、藥種や採取地などの知識において難波君に遙かに及ばぬにシャッポを脱げり。
ブータンにも行きたることあるは、そのをりに始めて聞く。以前に出資してブータン原産の生藥による製藥工場を作りたるが、その補強と、最近獨逸人がそれを越す施設を作れるらしきことの確認とを主目的とし、さらには學校を作らむとの意圖もありての今度の旅行なりとか。一と月もかかる旅など、懷具合と共にとても叶はぬこととその場にて斷りたるも、心の一部に、鎖國に近きかかる祕境への憧憬もたゆたへり。同君、その直後に病を得てブータン行きは遂に沙汰止になりたり。
その折に聞く、中國がブータンの北方を掠して道路を作りたるも、冬蟲夏草を採取せんが一因とも言はるるとか。ネパールにての冬蟲夏草採り競走も激しきを聞きをりたれば、分らぬ話にてもなきが、そが爲に他國を侵すとはおぞましき事なり。又シャングリラとも見做さるゝこの安泰なる國も、地球温暖化の影響によりヒマラヤの雪融けつづけば、洪水などの水害により國土の大半が崩壞せむとも聞く。
昨年十月、突然のやうにブータンが大きなる話題となれり。ワンチュク新國王、新婚旅行を兼ねたるがごとくに美人の新王妃と共に十五日に來日との報道による。前國王は昭和天皇崩御の折に國をあげて喪に服するほどの親日家にて、新國王も東日本大震災に義捐金の御寄附ありて日本に親愛の情を示さる。國會にても演説され、日本讚美の言葉を竝べられたるが、その報道の親疎、讚辭の省略のほどにより、日本の報道各社の自國日本に對する視線明らかにされたるも話題となれり。また舊臘、テレビ番組に或る藝人、ブータン國王夫妻の物眞似をして失敬なりと大方よりの非難の聲あがりたる由、はしなくも日本人のブータン贔屓伺はれたり。
 前國王の提案せる「國民總幸福量Gross National Happiness」なる考へ方は世界に一頭地を拔く指數にして、各國もそを自國の理想の一つと政治の一隅に組入れらるべきならむ。この國の末長き存續を祈るとともに、一緒に驢馬に乘る旅をして、難波君の夢、新しきシャングリラ實現の手助けのできなかりしを惜しむものなり。


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