文語日誌
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文語日誌(平成二十二年十月八日)
     
                  谷田貝 常夫

耕して天に至る
平成二十二年十月八日



 
知人のK氏、ここ數年、信州は高遠にて春には田植を、秋には稻刈りの作業勞働をなし、その見返りとして二萬圓の對價により玄米五十キログラムを得といふ。農家と都市生活者との共業事業にて、いはゆるグリーンツーリズムの一種ならむ。先週K氏、明日は稻刈りなりとおとがひを緩めをりたれど、後より聞くに、今年は數日前に大雨降りて稻倒れ、稻穗は水に漬きたれば、空は晴れたる刈取り日和なれど、泥んこになりて助け起しながらの稻刈りとなりし由。農家とせば、コンバイン使ひて斜めの稻をも效率よく刈取りうるものを、なまじ人手にかけねばならぬが憾みとなりしならむ。
 余も、戰爭による人手不足の一助にと中學に入りたる前後、疎開先にて麥踏み、田植などせし體驗あれば、田んぼ作りが薫習となりて夢にも田を歩き囘ることあり。ここ數年はヴェランダにて、世にいふバケツ米作りし、雀の涙ほどの收穫を喜べり。されど、始めの土運びや刈り取り以後の處理の意外に多岐にわたる勞を顧み、今年は體力のあまり要らぬ野菜作りに轉向せり。水茄子の苗あるを見つけたれば買ひ求む。柔かく生のままにても十分美味なる水茄子、その名のとほり水遣りの少ければ直ぐに勢ひの削がるるに氣づく。この八月、溽暑に加へ雨の降らぬ日の長く續きたれば、朝のみにては足らず、夕方にも十二分に水を灌ぐ日も多かりしことより、ダム、水道の涸渇して節水令の出さるゝ事態を暗に恐るるほどなり。
 土地狹き日本には棚田多きこと誰も知る。ヴェランダ稻作も棚田の一種ならむか。テレビにて瀬戸内の島々ごとに棚田のある景觀見るは、さなくも美しき内海の光景なるを、一段と我等の琴線に觸る。されど棚田を維持せんには竝ならざる努力を必要とせむ。小さき島の小高き山の上へ上へ、耕して天に至らむ勢ひなれば、水を漲らすには格段の苦勞あるべし。そも水湧くところ尠ならむ。水を保持するに土のみならず石もて畦土手を築く。農民の營々たる姿垣間見ゆ。棚田の農作業に今や都會の若者集ひて、田植ゑ、稻刈りの奉仕をなす。相互供養の姿、美談と云ふべし。
 棚田の效用とて、食料の生産、國土保全、水資源の涵養、水質淨化、やすらぎ、景觀美など數々列擧さるれど、抑も田んぼは全般に、多用なる生物を育つる場にて、蛙、蜘蛛、蜻蛉、蝦、田螺、泥鰌、鮒、蛇等々、ここにて生を謳歌するもの枚擧に遑なし。折しも、この十八日より「生物多樣化條約第十囘締結國會議・COP10」開かる。内實は動植物資源に係はる利益配分なれど、我等日本人としては、田んぼの生物多樣化に資することある重要性を廣く知らしめたきところなり。
 然るをさいつころ、世界におきては稻作廢止の運動始ると聞きて膽を冷せり。捕鯨禁止と同じ日本苛めかと勘繰りたるに、然に非ず。世界の多くの地におきて水不足の現象起り、水配分の紛爭嚴しきものとならむとするが故とか。その主たる原因に水耕稻作のある由なり。既に埃及ナイル川の中流域は稻作禁止になりたりといふ。命の豐かなる田園に惠まれたる、風光明媚の日本に生れ出でたるを更めて幸ひと思ひ返せり。


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