文語日誌
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文語日誌(平成二十二年四月二十八日)
     
                  谷田貝 常夫

現代假名遣の效用なるか
平成二十二年四月二十八日



 
きのふ夕刻電車に乘りこみたるに、かなりの混みやうなれど、そこは老人、優先席の一つ空きをれば若き人に先立ちて腰落すを得たり。讀書は電車に搖られて行ふを主とせる余のことなれば、早速に本をひろぐ。暫くありてふと目をあぐるに、前に立ちたる女性の肩懸け鞄の紐に、米國人好みのバッヂ着けられたるに氣づく。手垢つきたる、見飽きたる桃色のハートの繪の周りに文字あり、「おなかに赤ちやんがいます」と讀み取らる。三十代も後半と見受くるその女性の腹に目をやるに、心なしか多少の膨らみ感ぜられ、バッジの文言了解せらるると共に、余、「います」なる語に衝迫を感じ、直ちに立ちて席を讓りたり。小學唱歌「故郷」に「如何にいます父母」とあるごとく、「います」は在り、居りの尊敬語にてはなきか、尊き方の腹にいますか。
 熊野本宮は元「熊野にます神社」と稱し、熊野にいます神の社を指したり。それ以上にバッジの趣意に適合するは「飛鳥坐・あすかにいます・神社」ならむ。日本最古の大佛の坐ます飛鳥寺のすぐ東なるこの神社、余は前を通りたるのみなれど、境内に多くの陰陽石立ち並び、男女和合を形にせる奇祭「おんだ祭」にても有名なり。
 天武天皇の病氣平癒を祈りたることあるほど由緒正しきこの神社、日本に珍しく飛鳥家が個人にて九十代近くにわたりて護れる社なり。國文學者折口信夫が祖父、若きときに一度この飛鳥家の養子となりたる後、折口家に入りたる經緯より、祖父を敬せる折口信夫、終生この神社を誇りとし、教へ子らと度々訪れたることあり。歌人釋迢空として、飛鳥懷かしの歌を何首も詠む。
    なつかしき故家の里の飛鳥には千鳥なくらむこのゆふべかも
 折口信夫は身邊に女性近づけざれば終生娶らず、かへりて若き男弟子と常に同居を繰返せるも、幼きときの姉への親愛、祖父への憧れからか、大和の地を魂の故郷と感じ、飛鳥坐社に牽かれたるものの如し。折口が心情の振幅の大きさ、この神社が象徴す。
優先席同樣、このバッヂにも贊否兩論あらむ。ただ余にとりては、若し歴史的假名遣にて「おなかに赤ちやんがゐます」とあらば、これほどの反射的反應はせざるものをとをかしくなりぬ。


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