文語日誌
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文語日誌(平成二十二年二月十二日)
     
                  谷田貝 常夫

こそことし
平成二十二年二月十二日(金)
      


 
古文書解讀の大先達櫻井由幾先生より年賀として「舊暦カレンダー」贈らる。表紙の頁がそも霜月なるに違和感覺ゆるも、月の略畫あり、毎月始めの日が青黒き丸に描かれ、新月の朔日なるに改めて氣づく。
この暦を見るに、けふ二月十二日は舊暦の正月朔日、すなはち元日にて、大陸、台灣にては歸京の大移動起る春節なり。然れば立春はいつなるかと目を凝らすに、舊暦師走の廿一日にあたり、新暦なれば今二月の四日なり。かくて本年が古今和歌集の冒頭歌によまれしが如き年廻りなりと判り、興を惹かれたり。


       ふる年に春たちける日よめる
   年の内に春はきにけりひとゝせをこそとやいはむことしとやいはむ (在原元方)


 かかる現象、正岡子規のののしるほどに陳腐なる表現とは感じられず、かへりて、新年の來る前に春の來たれるに誘發せられたる感慨を、今の世なりに實感したり。舊暦カレンダーの效用といふべきか。
元祿の僧契沖の著せる「古今餘材抄」は、古今和歌集の注釋書にして、卓拔なるその業績は以後の研究に大いなる影響をあたへたること定評あり。當然のことに、この元方が歌につき説くところありて、「此哥まことにことわりつよく又おかしくも聞えて有かたくよめる哥なり」との古來風體抄の一節を引用す。契沖、理に墮せるも興味深く感ぜらるる優れたる歌なりと共感す。しかも自身、かかる現象に興深かりしか、「年内立春」と題せる歌二十三首も詠めること、小堀桂一郎氏の名著「和歌に見る日本の心」より教へらる。


       年のうちに春立ける日、雨のふりけるに
   來る春はとしの内ともおもほえずしつけき雨のこちになひけは (契沖)
   こそことし人はさためず春は今日心のとふにこたへてや來る


 そもそも暦の採用は樣々なる觀念、志向から來るものにて、時代により國により違ひはあるものなれど、北斗七星などの向きによるなどの例外は別とし、概ねは太陽及び月の運行を基礎とするものなり。今目前の暦は太陰暦を大きく掲げるものにして、月の滿ち缺けにより日を數へ、片や立春などは太陽暦によるもの、春分秋分は晝と夜が、日の昇る落つるにて等分になる日とさる。元方が歌は「わらはへに至るまてしらさるもなく」、大方の日本人が惹かれこしゆゑんは、二十四節氣による太陽、朔望による月、地上の萬物に惠みを與へる遍照の太陽、人の心を澄ませもし悲しみ添へもする月、この二つながらの天體の運行の、しかもその巡れる規則の食ひ違ひの、暗に讀込まれたるためならずや。人麿の「東野炎立所見而反見爲者月西渡(あつま野のけふりの立てるところ見てかへり見すれは月かたふきぬ・契沖釋)」、蕪村が「菜の花や月は東に日は西に」なるイメイジと比べうる程の宇宙感覺を人は感ぜざらむや。今の世の「舊暦カレンダー」、樣々なる思念を通はする奧深きものと知る。


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