文語日誌
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文語日誌(平成二十一年六月十日)
     
                  谷田貝 常夫

全盲のピアニスト、一等賞を
平成二十一年六月十日



 
辻井伸行さん、テキサスにて行はれしバン・クライバーン國際ピアノコンクールにて、中國人と共に一等賞を得たりと報道さる。辻井さんは兩眼盲目、かかる一流のコンクールにての入賞はまこと稱讚に値す。歳は二十なれば、今後の人生展開、大いに樂しみなり。
初見による課題樂曲は、一度人に彈いてもらひ暗記したる後、演奏せるとか。暗譜のまことに弱き余にとりては驚異的に思はるるも、音樂におきて耳傳へは基本的要件ならむ。NHK邦樂家養成所の第一期生なりし山田美喜子先生、箏の外に琵琶も名手にて、先生の言によれば、三味線や箏の稽古なるもの、もともと師匠より耳のみにて曲の傳へらるるものにて、譜面を見ながらのおさらひは眞には身につかぬもの、ましてや五線譜にて習ふ者の音感、とかく邦樂の態をなさずと。宮城道雄の指導を受けて成長したる山田先生、宮城曲の二百以上は覺えをると、當然のごとくに語る。

 思ひかへせば宮城道雄も盲人音樂家にて、十三歳にて生田流箏曲の免許皆傳となりたり。名曲「春の海」は、八歳にて失明する前に、瀬戸内鞆の浦にて目にせるイメイジによりて作れるとか、明暗の世界を象徴する話なり。この曲の世に發表せられたる頃に宮城道雄に師事せるが中塩幸祐師にして、春の海の點字樂譜に多くのやり直しあることを見つく。中塩師自身、二歳の時醫師の誤診療により失明せるため、物を見たる記憶全くなく、その故に、物を見たき慾望のさらになければ、一生を呑氣にすごせ、仕合せなりと述懷す。余が眞暗闇を經驗せるは、善通寺と善光寺における胎内潛りにて、光なるものの全く感じえざる空間は恐怖を覺えせさするばかり、呑氣どころにてはなく、恐慌を來たしたるものなり。和服を端正に着こなして我等が前に立ちたる師、世が江戸なれば、我は檢校にもなりてゐようもの、されば、我が位高ければ、お前さん方など這つくばらねば、ここにはをれなかりしものをと宣はりしもをかし。檢校とならば、厖大なる卷數の叢書『群書類從』を編纂せる塙保己一が思ひ出でらる。盲人にて何故かかる仕事の成し遂げられたるか不思議と思ほゆ、文字を見たること無からむに。日本にては、江戸の昔より障碍ある人たち、それなりに優遇せられて、そこそこの福祉社會なるに感じ入ると共に、盲人も又その厚遇に應へて、優秀なる人あまたをりたること、今囘の辻井さんの例にても知らる。


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