文語日誌(平成二十一年四月二十三日)
谷田貝 常夫
ノーマイク・ノースピーカー
平成二十一年四月二十三日
洗足池畔のレストラン「テラス・デュレ」にて妻と食事す。水上に張出したる床席より緑がちなる水面を見つむれば、心の平らかに落ちつくを覺ゆ。ふと、池の中ほどにボート數艘のかたまれるに氣づく。見慣れぬ光景なり。目を凝らすに、中の一艘、定かには見分けえねど隣のボートの人物を撮影中のもののごとく、隣の舟の動くにつれて位置を換ふ。ガラス窓を透かしたる光景なれば池よりの音は悉皆聞えず、別世界を覗き見るがごとき趣なり。
氣にかかりし、異樣とも思へる動き見ゆ。太き黒筒の頭上より伸びては隣の舟にかぶさることなり。思ふに彼(あれ)はマイクロホンならむ。怪鳥の嘴にて咥へかからむとするに似て、不氣味なり。この器械、日頃余の厭はしく思ふ近代製品にて、歌うたふときも講演するときも、誰もが皆長き紐の先なる、擂槌の樣したるを噛まむばかりに口間近に寄せて聲を發す。醒めて眺めなほさば、噴飯ものと看做さざらむや。最近、さるロック歌手、「ノー・マイク、ノー・スピーカー」なる演奏會開きて大成功と大滿足したる由。元々クラッシック音樂におきては、かかる器具をつかはざるが當然のことにて、ノー・マイクを貴重なることとなせるなど、現代の倒錯感覺ならずや。
マイクロフォンは例のエディソンが發明にかかるものなれば、僅々百年ほどの經歴なるらむ。その以前は演説等にてもマイク無しは當然なること、慶應義塾大學に存する「三田演説館」からも察知せらる。同館、四五百人がほど收容の長四角なる空間を作れるものにて、なまこ壁が演説なる語と違和感を覺えしむる感はあれど、その風格、重要文化財に指定さるるも當然と受け止めらる。
かかる空間より想像を掻きたてられたるは、北條政子が鎌倉の政所にて行ひし演説なり。演説館ほどの廣さを前にしての、荒くれ關東武士に向ひ合ひてのことならむ。嗣子なき將軍實朝が雪中に命を絶たれたるを好機とみし後鳥羽上皇、執権北條義時追討を命じたるに對し、關東側上皇を除かんと大軍を編成して西上せんとす。上皇に刃向かふことに多少の躊躇ひあるを察せる尼將軍政子、御家人を集め、口頭にて御家人結束の演説をなす。山よりも高く、海よりも深き將軍頼朝の恩に應へよと涙の訴へをしたるに、皆落涙感動して、御家人の動搖は收まれりと傳ふ。この演説、吾妻鏡に、「故右大將之恩、・・・高於山岳、深於溟渤、報謝之志淺之乎」と拙き文章語にて書き殘さるゝのみなれど、爾後武家政權の續く世を固めしものにて、時代を動かす名演説に涙伴ふは、日本ならではと言ふべきか。
政子と對蹠的なるがリンカーンがゲティスバーク演説なり。國立戰歿者墓地奉獻式におきてリンカーンは、祈るがごとき、呟くがごとき小聲にて文章を讀む。マイクロフォンも無き時代なればそに氣づく者少し。カメラマンが大統領の演説に氣づき、慌てて寫眞とらんとしたる時にはその短き演説、既に終はれり。偶々一記者、メモに書き留めをり、そを記事にせしことより評判高まりたり。或る和譯にては八百字にも足らざる短さなることもありて、今やアメリカ人なれば、その文章を暗記せざる者なしといふほどの名演説なれど、その場におきては人に何の感銘も與へず、後々に感銘を與へたるはアイロニーと言ふべし。
マイクロフォン、スピーカーの開發せられて、そを最大限に利用せしはヒトラーなるらむ。ちよび髯が腕振上げ、神がかりに近き長廣舌にて何萬人もの聽衆を醉はす。かくて歐州は戰亂に卷き込まれ、日本も同調、世界中が戰ひに明け暮れたるが、こはマイクロフォン、スピーカー、さらにはラジオなる視聽器械の發達せるが一因ならずや。
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