文語日誌(平成二十一年四月)
谷田貝 常夫
伊太利の地震
平成二十一年四月七日
朝刊に、ローマ東北の地ラクイラにて地震ありたる報道あり。震度M6.3、死者は百五十人に達すと云ふ。偶々昨日、テレビにて伊太利トスカナ地方の北、コロンナータの紹介番組を見たる直後なれば、感慨一入なり。
コロンナータは、山間の斜面に赤き屋根の密集せる集落にて、背後には高き禿山林立す。アルプスには遠き地に、なにゆゑ雪のごとき白き山肌の見らるゝかと訝しむに、この地、白き大理石の産地にして、古くはミケランジェロの作品にも使はれたる石の出づとか。石切り場、現在は機械化も多少は進みたれど、かつてはロッククライミングまがひに、垂直の壁に吊下げられたるロープに身を任せての切出しをしたりと云ふ。現在は露天掘り、もしは横穴堀りになりたれど、横穴の坑の樣は、天井のがたつきて、見るに不安を覺えしむる體のものなり。伊太利は地震なからんが故に安氣にもせるものならむとその折は推したり。
かつて栃木の大谷寺に詣でし折、大谷石博物館に立寄りて、丈高く廣々とせる採掘跡を見しことあり。この石、多孔質にて柔き感觸なれば、差詰め音の反響も妙なるものならむか、コンサートもよく開かるゝと云ふ。。かつて建築家フランク・ロイド・ライト、帝國ホテルの正面に大谷石を多用し、幾何學的なる切斷面なれど軟らかき感觸、暖かさの通ふ美的感覺存分に發揮せられて、天井低き通路、横長の吹拔けなどの處理も加はりて、空間の魔術師と讚へられたり。
關東大震災時は、竣工の直前にて、されど力の分散せられたる設計ゆゑ、被害らしき被害に遭はず、構造面にても名聲をあぐ。
そに比ぶるべくもあらざる我が家の塀、大部分が大谷石によるものなれば、雨につけ風につけ表面の削れゆくを日常目賭しきたれば、脆き素材なること十分に承知致しをり。大谷石博物館見學の十年ほど後、過去の採掘場にて大規模なる崩落起りたりと報ぜられし時は、わが嘗ての不安の的中せるを思ひ起せり。以後露天掘り推進せられたりとか。
大谷石と大理石とはその硬度に大いなる差はあらむが、採石場の危險度にさほどの違ひはなからむ。コロンナータが石切り場の監督フランコは、切出す大理石の品質に、白に混ざれる色なきかなど、品質に神經を使ふと共に、現場の安全にも絶えず氣を配りをりと云ふ、當然ならむも、本日の報道のごとき天災有らば、かなりの慘事とならむは必定なり。
その緊張をほぐす故か、フランコ、隣村の合氣道の道場に通ふ。縱長の廣き道場の端に大なる漢字にて「合氣道」と書かれ、稽古は正坐にて暫時冥想、その後に「レイ」の掛け聲にて頭をさげてより練習始る。レイは當然日本語の「禮」ならむ。相手と爭はず、呼吸や體捌きによりて相手を無力化するを目的とし、自然や宇宙の法則たる氣との和合をはかる合氣道の考へに、フランコは大いに贊同して練習を續くと云ふが、更に己の石切り場の仕事にもその考へを敷衍、己の仕事は自然の破壞などにてはなく、自然よりの美の素材を授かるもの、神の惠みを戴くものと感謝して日を暮らす由。合氣道により、かかる謙虚なる考へを抱くに至りたりとぞ。予としては、かの地に地震の來ざらんことを祈るのみ。
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