文語日誌
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文語日誌
     
                  谷田貝 常夫

多羅葉・たらえふ
平成二十年三月二十七日(木)



 
辻 居間に大きな葉二枚置かれ、その葉に美智子皇后の和歌、および小生が高校の同級生竹本忠雄君の譯したる同じ歌の佛文、鮮やかなる黒き線の文字にて讀取られたり。細君の書きしものなることと直ぐに理解されたり。勉強中の佛會話クラスにて發表するならむ。これぞ多羅葉なり。

 三十年ほど前、我が家に植木屋の入りたることありし折、多羅葉の木あるが見つけらる。珍しき木なり、鳥にて運ばれしものならん、大事に扱はるべきなりと植木職人が話。時の高さ二メートルほどなれど、葉の大きくて、なるほど「葉書の木」とも呼ばるゝ所以理解さる。葉裏に楊枝などにて字を書付くれば、樹液によるものなるか、黒く跡の殘りて、紙代りの役を果し得。

 この名、古代印度にて經文を書込みし貝多羅葉ばいたらえふになづらへてつけられたるもののごとし。こちらは黐の木の類とか。かれは棕櫚の一種にて、貝多羅(パットラ)なる樹木の大きなる葉を細長く切り、そこに經文などを書きこめり。小野妹子の隋よりもたらせる貝多羅葉の梵字般若心經は、今に東京博物館に展示せられ、千四百年前の梵字、明らかに讀取らる。三藏法師が印度より持ち歸れる經文もほとんどがこの貝多羅葉なりとぞ。一枚一枚はごく輕けれど、大部の經典なればいかほど重かりしことか。

 我が家の多羅葉樹、みごとに伸び茂りて、 ひよどりのよき巣となることもあれど、他に別段の效用なし。雄の木なれば花もつけず、實もならざればなり。さあるところ最近、この木につき地元情報紙よりの取材ありて、四月にわが多羅葉がこと、いづれの家なるかは伏せて町内に紹介せらるることとなれり。それによりて雌の木のいづこにあるか判明せらんことを期待す。さなくば、我が家が多羅木、つれ合ひの見つからずに孤高にて了はるのみなり。


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