文語日誌
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文語日誌(平成十九年十月)
     
                  谷田貝 常夫

トルン・マリンバ曲「道」

平成十九年十月二十三日(火)




 一年以上も以前の昨年より企てられたる小栗久美子さんが演奏會、何時かはその日が來むと遠き日のことのやうに頭の隅に殘りをりたるが、いよいよ本日、横濱が「みなとみらい小ホール」にて開かる。三十歳となる以前に己の演奏會をひらくべしと北原先生より命ぜられたる故の會なり。そが二十八歳の若さにて實現、しかも定員四百名の入場券早くに賣切れたるは、この九月に亡くなられし小栗さんが母上の御蔭も大なる由なれど、日本にては他に奏者なき「トルン」なるベトナム樂器の演奏あるもその一因ならむ。トルンは全てが竹にて作られたるものにて、六七十本ほどの竹筒組合せて、兩腕にて二抱へにもならむ大きさの、木の葉に似たる形は繪になる姿とも云ひ得べし。今一つの演奏樂器マリンバは、アフリカ起原の木製のものにして、現在新しき樂器として擡頭著し。かくして本日の兩樂器を奏づる會は、木に竹をつぐ形とも、竹に木を接ぐものとも言はむか。
 今より恰度七年前の西紀二〇〇〇年十月、余が十年以上主事をつとむる文字鏡研究會、ベトナム國産の漢字、字喃(チュノム)フォントを六千字作りて、ベトナム國立漢喃研究院に寄贈せんがための贈呈式を、東京國際フォーラムにて行ひしときに、そのプログラムの一環としてベトナム音樂の演奏を加へたることあり。東京外語大ベトナム語科女子學生三人の楚々たるアオザイ姿にてのベトナム樂器演奏にて、その中に、余の初めて出會ひしトルンとそを演ずる小栗孃ありき。
 この字喃贈呈式に、わが細君のつてを頼りてsc康夫代議士に挨拶を依頼す。一應の約束なれど多忙なる代議士の、かかる利害得失に一切かかはらぬ文化的行事に果たして出席するや否やを危ぶめど、式始りて講演となり、ベトナム關係者の挨拶も終りに近づき、三人娘のベトナム樂器をならべ始めし頃、やうやくのことにsc氏會場に顏を表はす。直ちに挨拶のスピーチとなり、漢字をめぐる悲喜交々を知れるsc氏、字喃フォントの贈呈と共に、漢字十萬字を採録せる今昔文字鏡の發案制作者古家時雄の業績を賞讚す。その豪雨の夜の一週間後、sc氏、小泉純一郎首相より内閣官房長官に指名さる。われらが贈呈式の一週間遲ければ、官房長官の挨拶など、あり得やうも無し。これも奇しき縁と言ふべきなり。以後毎年、sc氏が會合には古家氏共々出席、しかして本年、sc康夫代議士、總理大臣とはなれりけり。
 その後、字喃フォントをハノイにても作らむとの動きあり、偶々小栗孃、音樂習得がためにベトナムに留學せむとの豫定をたてたれば、フォント作成の技術を覺えてハノイでの仕事にせむとす。されど母上の病氣にてその計畫遲延せり。かかるうちに、二〇〇四年にわが文字鏡研究會、ベトナム漢喃研究院より、第一囘國際字喃會議に招待さる。時あたかも小栗孃、ハノイ留學中なれば、空港からの案内その他、われらに助力を惜しまず。國立圖書館にての余が講演にも立會ふなど、短期留學といつときの會議への招待との偶然の一致せるによりてのことなれば、シンクロニシティ(共時現象)なるを、縁深かるを強く感ぜざるを得ざりき。
 本日の曲目中に、委囑作品として生田美子作の曲あり。生田孃はわが教へ子にして、桐朋音樂大學に進み、余が友人の三善晃氏に作曲を學びて、幾多の典雅なる曲を作れり。七年前の字喃贈呈式の折、余、生田孃を受付係に依頼す。されば、小栗さんと顏を合せたることありといへど口をききたることもなければ、二人は相知らぬままにこの七年の過ぎたり。トルンとマリンバを組合せたる演奏會開かむとする小栗孃の意志聞きしより、余、この若き二人を結びつくることに意義を感じ、作曲を生田さんに委囑せむこと小栗さんに提案、小栗さんも己自身がための新曲のプログラムに加へ得ることに狂喜す。かくて「道」と題する、前半はトルン、後半はマリンバの演奏による曲の生れ出でて、大方の喝采を博したり。この曲名、日本の赤色野鷄の、悠久の太古にベトナムより稻籾と共に齎らされたりとせる傳承に基くものにて、遙けき道を想はするに餘りあり。
 余にとりても樣々なる音色に彩られし、感銘數段と深き小栗久美子演奏會なりき。


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