文語日誌(平成十八年九月二十四日)
谷田貝 常夫
わが友なりしS
平成十八年九月二十四日
午後に行はるゝ研究發表會までの餘れる時間を割きて、松川べり彫刻公園に赴く。富山にては城のかたはらを、幅狹くはあれど船遊びのしつらへしたる松川が流れ、緑多き兩岸には富山縣出身者の彫刻家による作品を點在させたり。その中の一つに、わが年上の友の作品のあるはかねてより知りたれど、未見なれば、前もつて縣廳の公園緑地課より取寄せたるガイド册子を持參し、本日の初對面となる。題して「二人」、高き鐵棒に幅廣き板一枚の胴體部分がかかりて、そこに足は二本なれども目鼻なき丸き頭二つつき、いはゆる二人の一心同體なれる姿を見す。おそらく友が夫婦を象徴せるがごとき作品なり。幼な顏の友が妻は夫唱婦隨の典型にして、極貧の折にも、その後かなり裕かになりたる折にも暮し向きにかかはる態度かはらず、不平らしき不平も洩さず、笑顏絶やしたることなしと見受けぬ。S自身も、彫刻家としてデザインから入りしさる中堅廣告會社にて、專務にまで昇りつめたれど、およそ金錢、名譽にはこだはらざる生き方をしばしば目撃せることあり。
五年ほどが前、年賀状の屆かぬを不審に思ひて問ひ合はするに、その妻より返事ありて、前年のある朝息絶えてゐたり、本人の生前の遺志により誰にも報らすることなく、葬儀も行はず、骨は富山灣に撒きたりと淡々と書かれたり。再度問合はするに、氷見の港より船を出して散骨す、ゆらゆらと骨の沈みゆく樣、まことに美しく見ゆと言ふに、我は絶句するよりなかりき。よりて本日、友Sの作品をながめ、和歌を手向けたり。
散骨の いづこの底に 住み着きて この廣き灣をば 奧津城となす
富山灣に 友の白き骨 ゆらゆらと 沈みゆくは魂の 蜃氣樓なるか
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