文語日誌
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文語日誌(平成二十六年六月二十三日)
     
                  土屋 博


「近古史談」を讀む
      

 譯註「近古史談」(岡村書店、明治四十四年初版、大正九年十三版)を神保町の古書肆原書房のワゴンにて僅か二百圓にて購ふ。ポケット版の體裁、亦愛すべし。
抑々「近古史談」、舊制中學校の漢文教科書にも採用せられたる名著なれば、文語の勉強に恰好の副讀本とこそは言ふべけれ。但し原文は漢文なれば、現代人之を讀む爲には譯註附き不可缺なり。
「近古史談」の原著者はかの大槻磐溪(一八〇一年生、一八七八年歿)なり。蘭學者大槻玄澤の子息にて、昌平黌に學びたるのち、仙臺藩の知惠袋的存在となる。(のちに「言海」を著す大槻文彦は盤溪の子息なり。)
『近古史談』は「織篇第一」「豐篇第二」「徳篇第三上」「徳篇第四下」の四卷より成り、武將の逸話を集め論評を加へたるものにて、一八六四年に刊行せられたり。
譯註者山田鶴川、序文に曰く、『余平生好んで大槻盤溪著す所近古史談を讀む。反覆數十囘、未だ嘗て案を拍ちて快を呼ばずんばあらざる也。蓋我邦歴史ありて以來三千年、元龜天正の際を以て最も勇壯快活と爲す。群雄國の東西に據り、武を競ひ、疆を爭ひ、兵馬の聲一日之を聞かざる莫し。而して其間勇將烈士の剱を提げて衝突奔馳するの状、瞑目以て之を想へば、宛然として一劇曲也。近古史談録する所は、即ち多くは此等の事に係る。讀んで快哉を叫ぶ者、豈獨り余のみならんや』と。譯註者の原著を世に普及せんとする意氣込み感ぜらる。
本文より幾つか引用せむ。
「山内一豐妻」より
『山内豬右衞門一豐の始めて織田氏に筮仕ぜいしするや、適々東國の人、來りて名馬をひさぐ者あり。安土の諸將士皆其神駿に驚く。然れども價高きが爲の故に、購ふ能はず。販ぐ者將に馬を牽きて徒らに還らんとす。一豐之を見てりうぜんに勝へず。家に歸り、獨り自ら歎じて曰く、痛ましいかな貧や。我君に事ふるの初に當りて、此名馬を獲、以て主公に見えば、唯に一豐一人の榮のみならず、抑々織田氏の榮也と。其妻之を聞き、就いて價を問ふ。曰く黄金十兩也と。妻曰く、夫君必ず之を獲んと欲せば、妾能く辨ぜんと。乃ち金を鏡奩きやうれむに取り、之を一豐の前に致す。 以下略』

「韓國虎多し」より
『韓國虎多し。加藤氏の營山麓に在り。一夜虎あり、來りて侍豎じじゆ上月左膳を噛み、之を殺す。清正怒り、天明從つて其山を圍む。一大虎あり、獰猛茅葦を排して進む。清正ぐうを負ひ、巨砲を裝ひて之を待つ。虎益々怒り、口を張りて人立す。衆爭ひて將に之を銃せんとす。清正叱して曰く、しばらく吾技倆を視よと。言未だ畢らず、轟雷一發、丸飛んで口中に入る。虎仆れて又起ち、輾轉して以て死す。 以下略』

安政年間の人々の血沸き肉躍るを追體驗しつつ文章を讀み進むは洵に感慨深く、先人の歴史感覺をば引き繼ぐ心地こそすれ。


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