文語日誌
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文語日誌(平成二十四年二月某日)
     
                  土屋 博


牧野伸顕日記(中央公論社、一九九〇年刊)
平成二十四年二月某日

      

 牧野伸顕(一八六一生一九四九没)は大久保利通の次男にして吉田茂元首相の義父なり。
十一歳にして岩倉使節団に参加し、米国留学(費府中学)を経て、大学校を中退後、外交官となり倫敦に赴任す。福井県・茨城県知事を経て文部次官に任ぜらる。更に墺太利大使、伊太利大使を務めたる後、外務大臣、農商務大臣、枢密顧問官を歴任す。その後、さらに宮内大臣、内大臣を務めて摂政時代以後の昭和天皇を補弼す。
一八六〇年代生まれは人材の宝庫にて、六十年生まれの三宅雪嶺、六十二年生まれの新渡戸稲造、六十三年生まれの徳富蘇峰と巨人揃ひなるが、牧野は其の中にても主流中の主流とこそ言ふべけれ。
浩瀚なる本日記は、宮内大臣に就任したる大正の頃より内大臣時代のものまでを包含し、巻を擱くこと能はざる興味深き内容なり。歴史的資料としての価値も第一級と覚ゆ。
たとへば、張作霖爆死事件に際し、昭和天皇に対し前言を翻したる田中義一首相への厳しき姿勢や、根回しをしたるにも拘らず前言を撤回せし西園寺公への失望振りなど印象的。
『西公(西園寺公望)を訪ひ、首相の言上果して予想の如く聖明を蔽ひ奉る内容なるに於ては、兼て御思召通りの御言葉を被仰るゝも止むを得ざるべく、従而其影響等も覚悟せざる可からず、又其内容予測に相違する場合は御保留、御下問等の事も拝察し得る次第なるを以て、此の辺に付今日重ねて談合したり。然るに本件に付先きに承知したる事とは相違し、御言葉の点に付明治天皇御時代より未だ曾て其例なく、総理大臣の進退に直接関係すべしとて反対の意向を主張せられ、余りの意外に呆然自失の思をなし、驚愕を禁ずる能はず。』(昭和四年六月二十五日付け日記より)


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