文語日誌(平成二十三年五月某日)
土屋 博
青淵澁澤榮一翁の主要著作に就いて(下)
平成二十三年
五月某日
「澁澤榮一全集」(一九三〇)、平凡社の刊行にて、古書相場は揃ひにて六萬圓程度なり。全集發刊の趣旨に曰く、「現代の世相漸く險惡、先人の努力逐日水泡に歸せんとする傾向あるに鑑み、國民的教訓としては興國安民の大讀本として、その必要の切々たるを信じたるが故に外ならない。即ち本全集は子爵九十一歳の精髓を盡し薀蓄を吐露し、時に觸れ機に應じて詳述したるもの、論ずる所整然、説く所正鵠を得、夙に識者の贊仰する所、言々句々是れ珠玉、國家を憂ふるの念の熾烈なる、以て國民の規範とするに足る」と。
第一卷 新編青淵百話
(明治四十五年刊の「青淵百話」にその後の講話を加へ百五十三話としたるものなり。)
第二卷 實驗論語
(昭和五年七月の全集第一囘配本は、名著の譽れ高き實驗論語なり。)
第三卷 社會論叢
(たとへば、學閥には競爭と酷似する益ある面も之有りと指摘す。)
第四卷 經濟講話
(特に後半の國際篇、興味深し。)
第五卷 年譜・逸話・世界名士接見録
(特に二百貳拾頁に亙る年譜は詳細を極むるものなり。)
第六卷 隨筆及び隨想録
(冒頭に寫眞及び筆跡を收む。また、明治三十五年の歐米紀行の記録、貴重なり。)
「世渡りの道」(一九三一)、「青年に與ふ」より「順境と逆境」までを收む。翁曰く、「西洋の自由主義、個人主義を傳ふる福澤諭吉の説は、東洋舊來の陋習を革新するためには效果があれど、それに伴ふ餘弊も亦これ無きに非ず」とす。
「澁澤翁は語る」(一九三二)、「雨夜譚」の改訂版なり。
「青淵詩存」(一九三三)、百三十餘の詩を孫の澁澤敬三氏が集録したり。明治三十五年に三十數年ぶりに訪ひし巴里にて詠める詩は、左の如し。「一花一草總關情、觸目山河皆舊盟、俯仰豈無今昔感、秋風吹夢入巴城」
「青淵論叢」(一九三三)、國家非常の際に多くの國民に讀まるべく刊行されたり。
「景澤帖」(一九三四)、西條峯三郎氏の蒐集せし澁澤翁の墨蹟百餘帖の寫眞を一堂に集めたる和裝書籍なり。西條氏曰く、「予獨り此墨寶を祕藏するに忍びず、眼福を同好の士に頒たむ」と。
「青淵先生演説撰集」(一九三七)、二千八百に及ぶ翁の殘せる演説等より嚴選す。翁の死の數ヶ月前に飛鳥山の自宅よりラジオ放送、「中華民國の水災救濟」は最後の演説となりぬ。「今囘の(昭和六年夏の)水災は其の範圍揚子江流域の五省に及び、面積は日本の本土の廣さに匹敵し罹災者は一千萬人に達して居る。隣國の災厄に對して同情を表し慰問することは申すまでもなし、況や民國と我が國との關係から申して蓋し當然」と。
「澁澤榮一 自敍傳」(一九三八)、本文千二十九頁、年表五十九頁の大著なり。序文にて徳川家達公は、翁を評し「全世界に斯かる偉大なる人物は恐らく再び在るべからず」とす。
「經濟と道徳」(一九三八)、「巨星地に墜ちてより七星霜、故翁の恩顧に感激措く能はざる同志相謀り、かの歐州傳來の利己中心經濟思想一擲を期し日本百年の大計の基礎をなす翁唱道の『經濟と道徳の合一主義』を普及徹底せしむる目的を以て刊行」せられたるものなり。
「青淵澁澤榮一翁寫眞傳」(一九四一)、實業之世界社の刊行にて、序を雪嶺、露伴が擔當し定價は五十圓と言ふ豪華本にて、貴重なる寫眞を數多收む。
「青淵詩歌集」(一九六三)、青淵先生の詩歌を孫の澁澤敬三氏がまとめたるものなり。明治二十八年松島を詠める歌、「大方のものはききしに劣れるを見るに増したる松か浦島」。
「澁澤榮一傳記資料別卷全十册」(一九六七―一九七一)、澁澤榮一に就いて研究するに基礎資料として不可缺のものなり。
その構成は以下の通り。
「別卷第一、第二(日記)」(但し、現時點に於いては第二卷のみ未入手。)
慶應四年の日記より、「ダニイールと名づく橋セイヌに架す。長さ百六十メイトル、ポヲウルと云ふ鐵の類にて作る。重さ百萬キロ、鐵の突合せの捻ヂ三百十七」。
「別卷第三、第四(書簡)」澁澤榮一の、穗積陳重・歌子ら關係者にあてたる多數の書簡のほか、井上馨あて九十七通、大隈重信あて七十三通、伊藤博文、新渡戸稻造あてなど歴史を彩る有名人宛のもの多數を含み、歴史的價値高し。たとへば、大正二年二月二十五日の高橋是清よりの日銀總裁就任の要請を澁澤が斷りし際の書簡より。『肅啓、益御清適奉賀候、然者昨日貴邸拜趨之際、意外なる御推薦を以て縷々御示論被下候一條ニ付而ハ、夜來再三熟慮致し候得共、四十年來之宿志今更變更難仕候ニ付、頑固不愧用者と御看做相願候外無之候、(以下略)』
「別卷第五、第六、第七、第八(講話・説話・餘録)」
「青淵百話」、「雨夜譚」、「實驗論語處世談」全文などを收む。
「別卷第九(青淵先生の書)」
「別卷第十(青淵先生の寫眞)」
「雨夜譚(あまよがたり)」(一九八四)、幾種類もある自傳の一なり。「みじかしと悟れば一瞬にも足らず、ながしと觀ずれば千秋にもあまるは、げに人の一生にぞありける」てふ文句をもつて始まる。絶版の岩波文庫なれど、古本も視野に入るれば比較的入手すること容易なり。
「青淵澁澤榮一の書」(一九八四)、深谷郷土遺墨集刊行會による當時の定價一萬圓の書籍にて、百三十餘の寫眞集録されたり。
「澁澤榮一事業別年譜」(一九八五)、澁澤翁の足跡を辿る恰好の案内書と言ふべし。眺むれば關係せる會社の幅廣きことにただ驚くのみ。
「復刻版 青淵百話 乾坤」(一九八六)、稀代の名著の函入り復刻版なり。
「復刻版 澁澤榮一訓言集」(一九八六)、「青淵先生訓言集」(一九一九)より編者の解説部分を削り、澁澤の訓言のみを集めたるものなり。
「講談社學術文庫 論語講義 一―七」(一九九二―)、「論語講義 乾坤」(一九二八)を文庫化したるものなり。本講義の特色は、維新前後に翁の直接會ひたる人々に對する忌憚なき批評之なり。
「論語を活かす」(一九九八)、「澁澤子爵・活論語」(一九二二)の再刊にして、「余が眞に論語を行状の規範にせむとの考へを起こしたるは明治六年の辭官の時なり」と囘想す。また、「在來、日本の上流社會の氣風は、いはゆる仁義忠孝五倫五常の如き孔子教の道徳にて維持されてきた」とす。
「復刻版 論語と算盤」(二〇〇九)、東京商工會議所創立百三十周年記念事業として豪華函入りにて美しく復刻出版されたるものなり。
なほ、「肉聲で聞く 澁澤榮一の思想と行動」は、澁澤榮一史料館製作によるコンパクト・ディスクにして、以下の二つの講演收められたり。
一九二三年帝國發明協會における「道徳經濟合一説」
(「仁義道徳と生産殖利とは元來ともに進むべきものにして、相容れざるものにあらず」)
一九二八年日本放送協會のラジオ放送「(第一次大戰)休戰十周年記念日について」
(「政治經濟を道徳と一致せしめて、眞正なる世界の平和を招來せんことを諸君とともに務めたし」)
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