文語日誌
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文語日誌(平成二十二年十月某日)
     
                  土屋 博

徳富蘇峰の主要著作に就いて(中)
平成二十二年十月某日
      


「蘇峰文拔粹 精神の復興」(一九二四)、關東大震災により民友社が燒失したる後、震災の復興は精神的復興よりとの意圖から、蘇峰の舊稿を緊急出版したるものなり。
「家庭小訓」(一九二四)、震災により國民叢書の紙型が灰燼に歸したる故、改版したるものなり。
「大和民族の醒覺」(一九二四)、「米國の排日に直面する日本國民の覺悟」を收む。
「烟霞勝遊記 上下」(一九二四)、蘇峰還暦記念出版物なりしが、大震災により、發行が遲れたるものなり。冒頭の口繪寫眞は蘇峰夫妻と大谷光瑞氏。
「改版 靜思餘録」(一九二四)、震災により國民叢書の紙型が灰燼に歸したるための再販にて、第一靜思餘録より二十六篇、第二より九篇を收む。
「處世小訓」(一九二四)、國民叢書の一の改版なり。
「國民小訓」(一九二五)、國民醒覺の教訓書なり。
「蘇峰隨筆」(一九二五)、「露國の革命と日本」にて、「笑止なるは日本外交也。本野外相の露國通も當てにならぬ」とす。
「三十七八年役と外交」(一九二五)、「ルーズヴェルトが樺太全島を日本の有に歸せしめんと努力したるは特筆すべき」とす。
「第二蘇峰隨筆」(一九二五)、「澁澤翁と論語」にて、澁澤翁述「實驗論語處世談」を評して、「若し翁の本色を知らんとすれば此書より善きはなし」とす。
「第一人物隨録」(一九二六)、蘇峰の書くこと禁じ得ざる東西古今の人物論なり。
「野史亭獨語」(一九二六)、湘南逗子の野史亭にて産み出したる隨筆六十餘篇を收む。
「頼山陽」(一九二六)、日本外史を藝術品として能く出來居ると評價す。
「昭和一新論」(一九二七)、「今上天皇の萬歳、是れ實に我が帝國の忠良なる心の底から出で來りたる至誠の祈願なり」とす。
「大久保甲東先生」(一九二七)、大久保を天成の政治家なりとし、百代に卓越したる勇氣こそその人格の源泉なり、とす。
「蘇峰叢書第一 皇室國民」(一九二八)、「天皇の神孫に在すことは我が國史の昭々乎として記すところなり」とす。
「蘇峰叢書第二 名山遊記」(一九二八)、富士山及びその周邊を逍遙したる遊記なり。
「日本名婦傳」(一九二八)、日本を代表する理想的女性十二人を論じたるものにて、細川忠興夫人,豐太閤夫人北政所、紫式部、乃木大將夫人靜子らを紹介す。
「蘇峰叢書第三 國民と政治」(一九二八)、「上に君徳厚く下に民徳普く、かくの如くして立憲政治もはじめて圓滿なる運用が出で來る」と説く。
「蘇峰叢書第四 好書品題」(一九二八)、「思ひ出す人々を讀む」にて鴎外の思ひ出を語る。「記者は鴎外の手より親しく『舞姫』の原稿を受取り攜へ還りて實に其の筆の非凡なるを嗟嘆せり。併し記者の博士に感心したるは、其の堅實なる性格、高級なるー最高級とは云はぬがー頭腦、殆ど無盡藏の精力なりき」と囘顧す。
「中庸の道」(一九二八)、君民合體し、大國民として堂々天下の大道を高顏闊歩すべきことを説く。
「維新囘天の偉業における水戸の功績」(一九二八)、維新における水戸の功績を發揚す。
「蘇峰叢書第五 書齋感興」(一九二八)、「其の文字概ね書齋より出で來りたるが故」かく名づけられたり。
「蘇峰叢書第六 人物偶録」(一九二八)、大隈侯、海東侯、桂公、山公など蘇峰が親しく接したる人物についての囘顧なり。
「蘇峰叢書第七 關東探勝記」(一九二八)、「水戸遊記」など收む。
「木戸松菊先生」(一九二八)、明治十年に四十五歳にて死ぬる間際の木戸が「もう西郷たいていにしてよさないか」とうは言の如く言ひたることを紹介す。
「蘇峰叢書第八 言志小録」(一九二八)、昭和二年九月廿三日の「弔徳富健次郎辭」を收む。
「赤穗義士觀」(一九二九)、昭和三年十二月十四日陸軍士官學校に於ける講演を筆記せしもの。「若しも萬一日本が世界の何國かとやむを得ず戰端を開かむか、大義名分を明らかにし、世界の公論を味方にし、世界の敵と戰ふべし」と説く。
「蘇峰叢書第九 國民的教養」(一九二九)、古事記に劣らず日本書紀も重要とす。(卷數は、三對三十、成書の時期は日本書紀が八歳の弟)
「臺灣遊記」(一九二九)、「日本帝國に一萬尺以上の高山六十一あり、臺灣に四十八、内地に十三。富士山は六番目なり」とす。
「蘇峰叢書第十 新聞記者と新聞」(一九二九)、「世界の新聞と日本の新聞」、「予は何故に國民新聞を去りたる乎」など收む。
「日本帝國の一轉機」(一九二九)、「世界は武力的、經濟的、文化的帝國主義によりて四方八面から日本を包圍しつつあり」との認識示す。
「蘇峰叢書第十一 關西遊記」(一九二九)、「昭和御大典と上方雜信」など收む。
「蘇峰叢書第十二 讀書と散歩」(一九二九)、道樂の少ない蘇峰が、顏眞卿の書や廣瀬淡窓全集などに就き語る。
「時勢と人物」(一九二九)、吉田松陰、横井小楠、西郷南洲らに就きての講演を收む。
「人間界と自然界」(一九二九)、明治二十九年に文豪トルストイを訪問せし折の囘想、特に興味深し。晩餐後、蘇峰トルストイの前にて頼襄の「蒙古來」を吟じ、祕書の深井英五(のちの日銀總裁)は君が代を歌ひたる由。
「生活と書籍」(一九三〇)、「文明世界に於いて現代の日本人ほど書籍に對して沒交渉の者は少なし」とす。
「西郷南洲先生」(一九三〇)、大正十五年の三時間の講演の速記録にて、維新囘天の偉業を翼贊したる南洲翁の一代記なり。
「老記者叢話」(一九三〇)、新聞人としての自傳とも言ふべき「還暦を迎ふる一新聞記者の囘顧」、特に面白し。
「時代と女性」(一九三〇)、女性の味方として日本に於ける急先鋒なりし蘇峰の面目躍如たる内容なり。
「改造社現代日本文學全集四 徳富蘇峰」(一九三〇)、蘇峰の思想の全體像を鳥瞰するに最適の書なり。
「景仰と自省」(一九三〇)、國民新聞が率先して運動を興し、十一月三日の天長節を國民的祝節となしたるを語る。
「書窓雜記」(一九三〇)、一部の「論語」が日本から朝鮮に渡り、朝鮮から支那に渡り、支那から三百數十年を經て日本に戻りたる插話を紹介す。
「人さまざま」(一九三一)、「第一人物隨録」に續編「第二」を加へたるものなり。
「卓上小話」(一九三一)、「半生夢物語」、「英雄を知る」など收む。
「知友新稿」(一九三一)、古稀祝賀記念出版物にて、知友百大家の執筆による千二百餘頁の大著なり。
「わが母」(一九三一)、大正八年に九十一歳にて歿したる蘇峰の母久子を囘想す。久子の妹には竹崎順子(蘆花の小説のタイトル)、矢島楫子あり。
「人間山陽と史家山陽」(一九三二)、世間は往々山陽に愛國主義者のレッテルを貼り勝ちなるが、本人は迷惑かも知れぬ、とす。
「史境遍歴」(一九三二)、外國にては人民が始めに出來、然る後に君が出來たるが、日本に於いては君が出來たあとに人民出來たりとす。
「岩倉具視公」 (一九三二)、岩倉公の經世的識見は高く羣雄の上にあり、とす。
「蘇峰先生古稀記念帖」(一九三二)、和裝帙入りの非常に美しき書籍なり。定價七圓にて限定三百部刷られたるもの。蘇峰の古稀記念の展示會にて紹介されたる書、書簡などの寫眞、著作目録など收む。
「讀書人と山水」(一九三二)、關東甲信越、九州、四國等への紀行文にて、今後は老境に赴き、この種の漫遊の機會は少なくならんとす。
「勝海舟傳」(一九三二)、氷川亭と同じ敷地に住み、晩年の海舟と深き交流のありたる蘇峰ならではの力作なり。
「大事小事」(一九三二)、「新聞界に於ける五十年の印象と觀察」にて「一戰爭毎に新聞に長足の進歩あり」と指摘す。
「典籍清話」(一九三二)、「吾人が遺憾とするは、我が國人は書籍を實用以外に未だ評價する者の少なきことなり」と説く。
「東西史論」(一九三三)、「伊藤公」、「岩倉公」、「ペルリは日本の恩人乎」など收む。
「愛書五十年」(一九三三)、上製布製限定千三十部、定價四圓八十錢の豪華本にして、「歴史上の初戀は通俗三國志、詩の初戀は山陽詩抄なり」と述ぶ。
「蘇峰先生詩書百幅帖」(一九三三)、青山會館の大講堂の模樣替への折に寄進せられたる蘇峰の揮毫百幅の寫眞集なり。和裝帙入りにして三百部限定なり。
「成簣堂閑記(一九三三)、紙魚叢話など收めたる限定千部の豪華本なり。
「聖徳景仰」(一九三四)、「我等は人間と生れて生を日本國に享けたることを幸運と思ふ」とす。
「明治維新の大業」(一九三五)、日本歴史の特色十箇條として@皇室中心、A日本精神は權利にあらずして義務、B萬世一系の繼續、C生々不息(常に老いず新たに)、D未だ外國に侵略せられたる經驗なし、E外國の事物・文化他の吸收、F國民的精神の熾烈、G彈力性のある國民、H妥協性、I人道主義、を擧げたり。
「四時佳興」(一九三五)、「高山植物の美は、高山に於て始めてその美を見る。天然を冒涜する勿れ」とす。
「漢籍を觀る」(一九三五)、五經、四書、道家などにつき教ふ。
「蘇峰自傳」(一九三五)、蘇峰の口授し祕書東香女史筆記したるものなり。蘇峰本人の過去の著作羣への評價は特に興味深し。なほ、限定三百部、定價五圓の豪華本、永く愛藏するに相應し。
「我等の日本精神」(一九三五)、明治天皇御製「あさみどり すみわたりたる大空の ひろきをおのがこころともがな」の如く、廣き心を以て行くこそ日本精神なれ、とす。
「蘇峰先生著作五十選」(一九三五)、文章報國五十年記念出版の天金豪華本なり。蘇峰の主要著作の寫眞、拔粹を含み、愛藏するに足る。
「史論新集」(一九三五)、「西郷隆盛の再評價」、「新島精神と日本精神」など收む。
「蘇翁言志録」(一九三六)、蘇峰の名文のさはりを蒐集・編集せられたる、持ち歩きに便利なる天金の册子なり。
「日本精神と新島精神」(一九三六)、東京日日新聞に「日々だより」として連載せられたる記事を再録したり。
「老記者の旅」(一九三七)、健康上の理由により「藝備遊記」など内地旅行の記録なり。
「戰時慨言」(一九三七)、日本の關心すべきは支那にあらずしてその奧に在るソ連なりとす。
「皇道日本の世界化」(一九三八)、大和民族は本來世界に雄飛すべき人種にして「今方に本來の故郷に歸る運動を起こしつつあり」と述ぶ。
「我が交遊録」(一九三八)、蘇峰の同時代人として交流したる伊藤博文、山縣有朋らに就きて語り、「丸き伊藤、四角い山縣、三角の井上」と評す。伊藤には先輩から可愛がられる資質あり、勝海舟には必ず出會ひ頭に人をからかふ癖ありたりとす。
「天然と人間」(一九三八)、「孔子とは誰ぞ」にて、孔子が作家になりたるは、六十八歳から七十三歳までの僅か五年間に過ぎずとす。
「昭和國民讀本」(一九三九)、「七十餘年の歴史を囘看せば我が日本國は或る不可思議なる靈力によりて或る方向に向かひて導かれつつあるが如く感知す」とす。
「人物景觀」(一九三九)、ベルツ博士の新島先生を來診せられたるに立ち會ひしことを囘想す。
「滿洲建國讀本」(一九四〇)、滿州を安寧の樂土、富國とすべく、日本が滿州から取ることは考へず、先づ與へよ、と説く。


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