文語日誌
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文語日誌(平成二十二年七月某日)
     
                  土屋 博

宅雪嶺の主要著作に就いて(下)
平成二十二年七月某日
      


 
「爆裂の前」(一九四二)は、「變革雜感」の續編なり。「遺憾な事」とし歐州新聞の日本への到著の三、四十日後となるは歐州戰役の結果を直ちに讀む能はずと嘆く。今日より見れば隔世の感あり。
「爆裂して」(一九四二)は、「爆裂の前」の續編なり。「小さい事の注意」にて、田邊内務大臣の「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさむ」(熊澤蕃山の引用せる山中鹿之助の歌)を誤りて吉田松陰作の歌と紹介したることを嘆く。
「三宅雪嶺選集」(一九四二)は、第一部論文篇、第二部修養篇より成る。「澁澤翁の一面」にては、明治十四年に澁澤子の東京帝國大學文學部にて銀行に關する講義をなしたる折の樣子を活寫す。雪嶺科は異れど出席し、「西洋人じみたる額へ手を當てて講義す。報酬を何としても受け取らざれば、已む無く反物を贈るとぞ。澁澤子には金以外のために働かんとする氣分ありき」と囘想す。
「激動の中」(一九四四)は、「爆裂して」の續編なり。「英國はやがてポルトガルの如き運命を辿り、米國はスペインを大きくしたる運命を辿り、寺院のかはりに博物館・圖書館等を殘しつつ、後に力を得る民族に利益を與へることとならう」と大膽に豫測す。
「雪嶺絶筆」(一九四六)は、死後刊行せられたるものにて、昭和二十年十二月に執筆したる「軍閥の弊害」にては、「大將が百人も居つてああでもないかうでもないと右往左往」したることに呆れ返りてありぬれど、後智慧の感拭へざるを惜しむ。


「同時代史」全六卷(一九四九―五四)は、雪嶺の生まれし萬延元年〔櫻田門外の變の年〕より雪嶺の歿せる昭和二十年に至る期間、すなはち雪嶺の「同時代」の編年體の歴史なり。政治經濟のみならず、外交、社會、文化も含む總合的の視野を有す。「明治の御宇は四十五年にて終り、清朝の康熙六十年、乾隆六十一年に較べて短きこと遺憾とせる所なり。・・・國史に於いて最も重要なる期間たるは明治にして、文字通りに躍進の時代とせざる能はず」と述ぶ。執筆に二十年の歳月をかけたる雪嶺のライフワークとこそ稱すべけれ。
その構成は左の如し。
  第一卷 萬延元年より明治十年迄
  第二卷 明治十一年より明治二十六年迄
  第三卷 明治二十七年より明治四十年迄
  第四卷 明治四十一年より大正四年迄(含 明治年間の變遷)
  第五卷 大正五年より昭和元年迄
  第六卷 昭和二年より昭和二十年迄 (附 人名・事項索引)
「學術上の東洋西洋」上下(一九五四)は、あらゆる學術の起源より發達までを考察したるものなり。以下、數册の復刻は實業之世界社長の野依秀市氏の雪嶺への敬愛と熱意によるものなり。
「妙世界建設」(一九五五)は、幾萬年を經て妙世界を建設し、眞善美が全き發達を遂ぐれば、彌勒の住する境地となり、孔子の言ふ「朝聞道夕死可矣」とならんと言ふ。
「人生八面觀」(一九五五)は、畫家竹内久一の描く神武天皇の繪は遺傳により顏の似る明治天皇をモデルとせるなどの插話紹介す。
「東西美術の關係」(一九五五)は、彫刻、繪畫、音樂、詩などの東西比較による歴史的考察なり。
「人類生活の状態」上下(一九五五)は、東西比較の形に於て人の生命、衣食住,遊樂、體力、知力、徳力、理想郷、人生觀等人類生活の状態を述ぶ。
「東洋教政對西洋教政」(一九五六)は、政治、道徳などを東西比較により歴史的考察を行ふ。
「筑摩書房 明治文學全集三十三 三宅雪嶺集」(一九六七)は、「宇宙、哲學涓滴、眞善美日本人、僞惡醜日本人、我觀小景、王陽明、想痕(抄)等」を收む。
「近代日本思想大系 五 三宅雪嶺集」(一九七五)は、「我觀小景、人生の兩極、大塊一塵、明治思想小史、妙世界建設、小紙庫抄」を收む。特に「大塊一塵」は、世界旅行より歸國直後の作品にて、たとへば「京都人と巴里人」は兩者の相似るところを述べ興味深し。卷末の丸山幹治氏(毎日記者にて丸山眞男教授の父なり)の「三宅雪嶺論」も一讀の價値あり。
「大正文庫 明治思想小史」(一九八一復刻)は、大正二年刊行の原本の忠實なる復刻版にして、尊王攘夷、征韓論、民選議員論、外柔内硬、無政府主義、進化論などをテーマとす。明治は四十五年間にて西洋の四百五十年分を一氣に驅け拔けしが、日本には豫めその下地ありきとの立場に立つ。
「三宅雪嶺格言集」(二〇〇五)は、流通經濟大學三宅雪嶺記念資料館の作成したる非賣品の小册子なり。幾つか拔萃せば、
「事業を成すは必ずしも難からず、成し遂げたる後を如何にするやに就き、器の大小の岐る。」
「いやしくも費やすことを知らざれば、金ありとも猶ほなきが如し。」
「心を春風の如くにし、腦を秋水の如くすべし。」
「器の小なるは早く滿足し、器の大なるは遂に滿足せず。」
「人を使ふには使はれねばならぬ」
「物は分り切つては面白からず」
「人間を計るは其の働きにあり。」
「力ある者は逆境を愉快に感ず。」


なほ、雪嶺に關する解説書としては、以下の如きものあり。
山路愛山著「三宅雪嶺氏の世の中」(一九一五)は、ポケット版の名著梗概・評論シリーズの一册。國民新聞記者にして歴史家としても名聲を馳せし山路愛山(一八六五―一九一七)による雪嶺の「世の中」の解説なり。
實業之世界社刊「三宅雪嶺先生を語る」(一九四七)は、長谷川如是閑、辰野隆、木村毅らによる座談會の記録及び追悼文なり。
柳田泉著「哲人三宅雪嶺先生」(一九五六)は、雪嶺に關する最適の手引書なり。
竹内書店編、加藤秀俊解説の「豫言する日本人」(一九六六)は、大正九年に發行せられたる「日本及日本人」春季増刊號「百年後の日本」の復刻なり。當時の各界著名人がアンケート形式にて百年後を大膽に豫測したり。雪嶺は、總論を擔當し、「我が日本は由來紛爭に殘酷を極めず比較的に平穩に變革を遂げ來たりたれば、今後も同胞相陷るの悲慘劇を演ぜず必然の進路を指し民族相當の力を以て世界の文明に寄與すべし」とす。この時雪嶺齡六十、かかる透徹の歴史觀、その後の我が國にて共有せられざるを歎くのみ。


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