文語日誌
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文語日誌(平成二十二年五月某日)
     
                  土屋 博

三宅雪嶺の主要著作に就いて(上)
平成二十二年五月某日
      


 
三宅雄二郎(雪嶺)(萬延元年―昭和二十年(一八六〇―一九四五)は、金澤の藩醫の家に生れ、七歳のとき儒學者河波有道の門に入り四書五經を暗誦せさせらる。愛知英語學校(同級に坪内逍遙)を經て官立東京開成學校(三年上に岡倉天心)に進み、東京大學文學部哲學科に入學す。講師にフェノロサあり。卒業後文部省編集局に勤めしのち、雜誌「日本人」に據り、言論人・哲學者として活躍す。飽くまでも在野の立場を貫き、後年は京都大學文學部長就任の依頼を斷り、また、林銑十郎内閣の組閣時には文部大臣への入閣要請も拒絶せりと言ふ。昭和十八年には文化勳章を受く。
雪嶺の妻田邊氏花圃(龍子)は樋口一葉の先輩格の才媛にして、長女は東條英機と對立して自決せし中野正剛(朝日新聞記者出身の衆議院議員)に嫁す。
三宅雪嶺の著作は、何れも和漢洋にわたる博識に裏附けされ、その一貫したる姿勢、含蓄の深き言葉は多くの讀者を獲得す。
小生の藏書より主要なる著作を紹介せむとす。
「明治丁未題言集」(一九〇八)は雜誌「日本及び日本人」の卷頭言を蒐めたるものにて、「丁未」なるゆゑ明治四十年の執筆なるべし。「我が日本帝國の今日あるは世界より寄與せられたるや明けしといへども日本が世界に寄與するところも又多々あらん」との立場。
「宇宙」(一九〇九)は、長谷川如是閑氏らがスペンサーに匹敵すと位置づけし科學的知識を踏まへたる大著なり。「宇宙に秩序あることは太古より之を疑はず」とし、宇宙を有機體と見、其の中に人間を位置づく。
「偉人の跡」(一九一〇)は、「倫敦タイムス、偉人の歿する毎に評傳を掲げ二、三十人分を一册として刊行する」の例に倣ひ、有栖川熾仁親王、丁汝昌、英照皇太后(明治天皇の嫡母)、ビスマルク、グラッドストンらを擧ぐ。
「世の中」(一九一四)は、雜誌「實業之世界」に連載されしものを集めたるものにて、當時四萬部のベストセラーとなれり。たとへば「意義ある生活」とは「生き甲斐のある生活」にして、他人の容易に爲し得ぬことを爲すべしと説く。
「想痕」(一九一五)は、「過ぎ去れる思想の痕跡、絞り取れる思想の糟粕、言ひ換ふれば思想の殘せる骸骨」にして、歳事、修養、思潮、教育、政治、人物、雜の七つをテーマとするものなり。雪嶺の思想のエッセンスを大觀するに相應しき書籍と言ふべし。
「三宅雪嶺 人生訓」(一九一五)は、「從來の博士の著書を廣く渉獵し、取りて以て、箴言とすべきもの、警句とすべきもの、絶妙の箇所、三唱禁じ能はざるが如きパッセージを集めて一卷を成す」ものにて、人と力行、國家と社會、時代と人物より成る。
「三宅雪嶺 修養語録」(一九一五)は、人生觀、處世觀、社會觀、人物觀、政治觀、教育觀、文藝觀、宗教觀、死生觀、雜觀より成る。
たとへば、
人生
「怒るあり、泣くあり、大いに笑ふありてこそ、世の中は饒かなれ、これ無くば空々寂々たらん」
處世
「人の世に處する、たまに進むの難きにあらず、退くもまた難し」
人物
「非常の時に非常の人ありといへど、非常の時に非常ならざる人も非常の事を成すと見ゆ」

「いたづらに生命を長くしたりとて何かせん、考ふ可きは如何に幅を廣くするかに在り」
また、「人生は短けれど、事を始むる、必ずしも三年五年に成し遂ぐるを要せず。十年に望み難くんば二十年に望むべし。一生に望み難くんば後世に望むべし。人事を盡して天命を待てよかし」。
「袖珍版 新論語」(一九一六)は、二十世紀的なる論語を目指すものにて、英文對譯も含み、執筆人も幸田露伴、三宅雪嶺など豪華なり。
「續 世の中」(一九一七)は、「世の中」の續編なり。
「小紙庫」(一九一八)は、雜誌「日本人」に掲載せし論文を集めしもの。「紙庫」の由來に就いては序文に「永平寺の和尚は庭前の石を指して曰ふ、吾は金なくして石ありと。著者は庭の代りに壁に面して曰ふ、吾は金庫なくして紙庫ありと。」とあり。「歐州聯邦成立の促進」にては、「歐州聯邦は阿弗利加を附屬にし、北米聯邦は南米を附屬にす。此の二大連邦に對し別に大團體を形づくるは日本及び支那にして世界を三分し其の一を保つといふべし。」との見方す。また、「奮へよ老人物奮へよ少壯人物」にては、「元老と言ひながら一人の七十を越えて首相と爲れる無し。他國には一層老齡にして劇務に當たれるあり。パルマストーンが首相職を帶びて死去せしは八十一歳、グラッドストーンが最後に首相職を退きしは八十六歳の時、チエールは七十五歳にて最初の大統領となり三年間繼續せり。モルトケが總參謀長を辭せしは實に八十九歳の時なり。」とあり。
「東西英雄一夕話」(一九一八)は、 總説、往昔の日本と英國、東亞大陸と歐大陸、君的英雄と臣的英雄、等より成る。英雄を讚美する際に人物として向上心に滿てるや否やに著目す。


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