文語日誌
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文語日誌(平成二十三年一月)
     
                  
中島八十一

カーチェイス
平成二十三年一月十七日




 一日、三島に用向きありて車を驅る。練馬の家を出で環八に進入するや、ただちに東名高速道料金所より谷原まで車列がひと續きになりたるを悟る。高速道土日千圓のなせる業なり。用賀よりやうやう高速道に入りたるに、まづは三車線の左端に位置を占めたり。
 いくらか進みて中央車列の進み方が速きことに氣附き、機會を狙ひて移動す。前の車は鮮やかなるロゴを帶びしトラックにて、積載重量十三トンの大型有蓋車なれば、果たして余前方の視界を得ず。ややありてこの巨大なるトラックの左車線に移るや確かに左車線の進み方速くなれり。やがて川崎の料金所と思へばいくらかの辛抱と中央車線をそのまま走り、件のトラックかなりの先方行くを見る。
 料金所にありては右側の三車線そのまま高速道に直結するゆゑ、勢ひこれを目懸けて車の集中せるは道理なり。余そこで一番左端に向ひてアクセル踏み、通行券を取りたる後、さらに勢ひを附け此度は右端の追越車線に突入す。しかれどもやがて緩行、停止の繰り返しに戻りたり。横濱インターチェンジにて左車線に進入車兩の多かりしこと經驗濟みなり。右端の思ひのほか進み具合の宜しきに、かのトラックの中央車線を進みつつあるを前方に視認せり。然るに、インターチェンジに著くやトラックは右側に車體を寄せ、またもや余の直前に割込み、前方の視野のすべてを奪ふ。おそらく大和トンネルまで行かば澁滯は解消せむ。そこまでの辛抱なりと諦むるも、中央車線の幾分かも空かば車線を變ふる衝動を覺ゆ。されど辛抱堪らず、中央車線へと左に移らんとす、その間際にありて、直前のトラック左方にハンドルを切りたり。前方の視野開け、されば車線移動を斷念し、トラックの先方へ進みつるを見送れり。
 思ひ通り大和トンネルを過ぎしころ澁滯の急速に解け、たちまちに時速百キロに到達す。家を出てよりすでに三時間過ぐ。これより後の八十キロは凡そ五十分にて走破しつらん。
 追越車線を驅けに驅け、海老名過ぎ、大井松田過ぐるに、幾臺かの乘用車追越車線より離脱す。果たして眼前を塞ぎたるはかのトラックなり。山北に差し掛かり道は二股に分かる。右側高速用二車線、左側低速用二車線なり。余とトラックともに車間距離十メートルを置かず進路を右側に取りてなだれ込む。七曲りの上り坂をもつるるがごとく驅け上る速度は百二十キロ、見るところはトラックの背面ただひとつ。
 車線を左に移し走行車線より追ひ拔かんと謀り、たちどころにハンドルを切る。走行車線をより一層の速度で振り切らんとするも、などか併走す。次第にトラックの車輪余の運轉席に近附けり。目の高さに隣のトラックの車輪の上縁迫り來たりて、轟々と耳を搖すりて響く。やがて走行車線のかなたに乘用車を一臺認め、速度を緩め、再びトラックの後に附く。二臺打ち揃ひて乘用車を輕々と追拔きたる後、再び走行車線に移らんとす。さればと見透かすばかりにトラックも走行車線にするすると移動せり。何をかはせんと追越車線に移らばトラックも移る。相手の明確なる意圖を今にして氣附きながら、ひたすら山道を驅け上る。
 と、トラックすつと左側の車線に移れり。あまりのあつけなさは疲れのゆゑか、はたまたエンジントラブルか。余アクセルを一杯に踏み込みたり。屹立する崖眼前にあり、道は鋭く左に曲線を描く。R三百の標識が目に飛び込む。映畫の一シーンに使ふスローモーションの技法のごとくゆつくりと事は進む。遠心力は車を著實に道路の外に放り出し、崖に當てんと、靜かに、力強く働く。アクセルより足を外し、ゆつくりゆつくりと呪文を唱へつつハンドルを左へ左へと手繰る。なほ車體の靜かに持ち上がる氣配あり、じりじりと路肩に近附けり。トラックは我が最期を見屆けんがためかセンターラインを越え、間際に寄りて竝走す。路肩に踏み入れてなほ外へ外へと移動は續き、いくばくかの後には、ガードレールに接觸せむとす。
 東名高速道の灣曲部にありてR三百は最小値なり。平成十七年四月のJR福知山線脱線事故現場は過去にR六百でありし灣曲部をR三百に附け替へたる地點なり。さすれば通過上限速度を七十五キロに設定せるも、當該電車の百二十キロにて通過せんとせしがための事故とする説あり。我車體は急の上り坂でなればこそ、からうじて速度を緩め、危機を乘り越え、やうやくスピードメーターを見得るころには八十キロを指す。





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