文語日誌
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文語日誌(平成二十一年九月十三月)
     
                  
中島八十一

愛犬の死
平成二十一年九月十三日




 昭朝八時、我家の老犬メリー號十一歳にて身罷りぬ。末期の一息を大きく吸ひて絶命す。三日の間、飮食を拒絶し、臨時に敷きたる布團の上に三十瓩の巨 軀を横たへ、目を閉ぢゐたる、心中何を思ひたるか想像をだに許さざるも、ひたすら死を待つ覺悟と見たり。
 家族の者ども集まりて、それぞれに亡失の感慨を表すに、その深きに驚きつ。親類縁者の訃報に接すとてかくはならざらむ。初老期に入りたる仔の雌犬の、屍の顏に鼻先を近附け一嗅して踵を返し、再び顧ることなし。これ犬一流の告別のしぐさにして、人間にも劣らざる感情表現なり。
 近頃開催し居る美術展に、「我らいづくより來る、我ら何ものぞ、我らいづくに向ふ」と題せるゴーガンの畫あり。「死して後、いづくに向はむ」と書かば、その意味するところ何人におきても理解せざることなし。レヴィ=ストロースのいかなる言葉も他言語に置換可能と言ひたりと、聞きたる覺えあり。文字を持たざるアマゾンの土民においても、音聲言語を用ゐて己が意思を傳ふ得れば、この一文必ずや理解すらむ。
 仔犬は長年家族とともに暮らしたれば、人の言葉を良く解し、およその命令は聞き分き得れど、言葉を發すること一度たりともあらざりき。なれば言葉にて何ぞ思ふことなきに、死して後に向かふ場所なぞ、犬においてそも疑問になるまじ。
 我にして、犬と書かば犬のありて、犬吼えたりと書かば確かに犬の吼ゆるに、犬の死していづくに赴かむと書きてもメリー號のその後の行方を知らず。ましてや我の死して後いづくに向はむかと書くとも、さらに知らず。
 我學生のころ、哲學の教師にして淨土宗の寺の生まれなるが、極樂のあると信じて極樂は存す、極樂のあるを見て信ずるものにあらずとて、西洋哲學の論理を用ゐて説明したるを、その難解ゆゑに卻りて記憶に殘れり。
 我死していづくに赴かむと書きて、知らずと答へばただ暗闇へ、願はば極樂へと向ふべし。三途の川を前に立ち、露拂ひの猫、太刀持ちの犬を始め顏ぶれの多きに良く見ば、來し方に飼ひたる者どもにて、これを從へて堂々の渡河も死後の樂しみなるべし。





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