文語日誌(平成二十一年六月)
加藤 淳平
平成二十一年六月某日
北京に在り。日本のセンター試驗に對應する中國の「高考」、則ち「全國高等院校招生統一考試」(日本語に譯さば「全國大學受驗統一試驗」)の、全國一齊に行はるるに際會す。新聞・テレビ、擧つてそが模樣を報道し、「高考」を受驗する生徒は固より、兩親、親戚・家族等、全中國國民の熱氣、異常に高まる。
中國の教育制度は、基本的に日本と同じく六・三制にして、日本の中學は「初級中學」、高校は「高級中學」、略して「高中」なり。「高考」は、大學等の高等教育課程進學を希望せる高中生の受驗する全國一齊試驗なれど、日本のセンター試驗と異る三點あり。一は高等教育課程進學希望の高中生全員の受驗を要する、二は高中生ならば一年次在學生より受驗可なる、三は國語、特に作文の重視せらるる、是なり。
「高考」の行はるる期間、漢民族高中生は二日間なるも、少數民族は三日間にして、三日目は少數民族の言語・文化の試驗に充つ。「高考」の問題は、各省、詳しく言はば中國全土の二十二省、四特別市、五民族自治區毎に、日本の教育委員會に對應せる省の教育行政機關、之を作成すれば、省によりて難易の差少からず、これが爲各地方毎の教育程度の差、調整せらる。特に少數民族は、固有の言語・文化の試驗あるに因り、米國のアフリカ系米人等の優遇に似たる優遇のなさるるものの如し。
地方毎の試驗問題中、報道の格別に注視せるは作文問題なり。北京市の作文題は、北京大學學長の出題する所にして、近年若年層の人氣を集めたる歌曲の標題なりとかや。他の作文題には、「誠實善良」等個人の倫理感を問ふもの多し。毎年省等の地方毎に各二三篇の優秀作文を選びて、全國の優秀作文集の刊行せられ、受驗生が參考に資すと言へり。
テレビ報道に見るに、「高考」の行はるる日の中國各地の熱狂ぶり、日本製英語なれど「フィーバー」と形容するに足る。各地の料理研究家等、「高考」受驗生の營養補給と實力發揮に最適なる料理を競ひ提案するは、「食の國」の面目躍如たり。各地の警察署長、必ずや不正絶對防止の體制を築くべしと確言す。罹病せる受驗生が爲には、醫師・看護士常駐の特別試驗場を設く。就中豚インフルエンザ患者にて隔離中の受驗者の、細心の注意もて、病院内にて試驗を受くる映像、放映せらる。「高考」受驗生と家族に、特別割引料金を設定せるタクシーあり。「高考」用の商品を、特別價格にて提供する店鋪あり。
「高考」に斯く大騷ぎせる中國人の「フィーバー」ぶりを見て、我些かの羨望を禁じ得ず。日本の高校生に對し、國を擧げ、新聞テレビを擧げて大騷ぎするは高校野球ならずや。高校野球の好選手は郷土の英雄たるのみならず、直ちにプロ球團より高給もて勸誘せらる。スポーツに特別の才を有する高校生は、斯く世間より注目せられ、社會の顯彰を受く。されど勉學に特別の才を有する高校生に、日本の社會は如何なる顯彰を與ふるや。
スポーツは多數の生徒の勵む所なりと雖も、關心無く無縁なる生徒亦存す。勉學は全生徒の關心あるものなれば、勉學に從事せる生徒の數、スポーツに勵む生徒數に勝れり。スポーツに才を有し、練習を重ね、拔群の成果を擧ぐる生徒、固より社會の顯彰に値すれど、學業に才を有し、學習と讀書を重ね、拔群の成績を收むる生徒は、社會より、スポーツ選手以上の顯彰を受くるに値するに非ずや。況やスポーツに才ある者、社會に有用の材ならずと言ふにはあらねど、學業の才に惠まれたる者、後日必ず、國と社會の進歩・發展に貢獻すべき可能性あるに於てをや。
現代の中國にては、「高考」の成績、受驗生に周知せらるるのみならず、各課目、全課目の成績優秀者が名の公表せられ、本人及び家族の名譽となる。我が國にては、今もセンター試驗の個人成績公表せられず。何たる違ひぞ。
大東亞戰前の我が國にては、公的試驗の順位公表は當然のことなり。外務省の外交官試驗は、大正八年までの合格者發表、成績順なりしにより、廣田弘毅、重光葵の首席合格、吉田茂の成績芳しからざるを知る。されど大正九年以降は、如何なる理由ありてか、名前のイロハ順發表に改めらる。或はこの時代の日本の歐化せる一部に、奇態なる平等主義ありしを示すなるらんか。
又戰前、小學校五年より中學に進學する者ありき。六年卒業後が常例なれど、例外的に小學校高等科一年、二年よりの進學亦少からず。中學五年卒業を待たず、四年にて舊制高校入學試驗を受驗する者多數ありき。中學四年修了にて高校に進學せしむる七年制高校の、設立せられたる所以なるべし。
されど斯かる戰前の俊秀飛び級教育制度、敗戰後の、教育改革による日本弱體化を意圖せる米軍と、それに迎合したる教員組合の嫌ふ所となり、廢止せられぬ。今に至るも俊秀教育は實行せられず、十八才前の大學進學は不可能なり。
人に早熟、遲熟の別あり。早熟にして、或いは又鬱勃たる才ありて、十六才にして中等教育の過程を凡て學び盡したる者に、大學進學の道を塞ぐは精神的虐待ならずや。米のコンドリーザ・ライスの十七才にして大學院に進學せるを言はずとも、共産黨支配の平等主義中國にて、十六才にて大學進學可能なるを、日本の左翼平等主義者等、如何に見るや。
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