文語日誌
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文語日誌(平成二十六年七月)
     
                  市 川 浩

多文化共生  
平成二十六年七月二十八日(月)晴 




 少子高齡化に伴ひ勞働人口不足叫ばれ、海外よりの移民にてこれを補はむとする動き加速しつゝあり。謂はゆるアベノミクスの成長戰略の一つとして、「技術研修」の面よりの海外勞働力の導入促進政策も行はれむとす。一方西歐諸國に於て、大量の移民勞働力導入の結果、深刻なる人種及び文化問題の顯在化あるを以て、この趨勢を憂ふるの論も亦擡頭す。
 移民推進派の反論を聞くに、西歐の問題は白色人種己が文化の優越性を主張する餘り、移民人種の文化に對する無理解にその根源ありとて、「多文化共生」こそ問題解決の鍵なれと言ふ。これを單なるスローガンに終らせず、法制を含む社會の改造を要すとして、手始めに地方自治條令より國籍による差別等を極力排除せむとする動きありと云々。
この「多文化共生」、本來は自己の所屬する文化にて生活するを保障せむとするも、他の文化社會に趨きては「郷に入らば郷に從へ」を基軸とせざるを得ず。まして一國の中に「多文化共生」せば、解決不能の難問あること、中國、中東、ユーゴスラビアなどの例に明らかなり。特に「多文化共生」は最終的に政治的權力としての參政權に至らざるを得ず。移民票の動向は少數と雖も當落僅差の候補者之を無視し得ず、當選後はその意向を尊重せる政策の實現次囘の選擧に向け必須とならむ。その政策もし特定の民族乃至宗派に有利の場合、他の民族乃至宗派の反撥を招き遠く民族紛爭の因とならむを憂ふ。
 吾は外來文化との共生を否定する者に非ず。漢字、漢學及び佛教の傳來に於ける王仁、鑑眞、近年の西洋文明の紹介に於けるヘボン、クラーク、フェノロサ等の功績に感謝すること人後に落ちず。されども最近の「多文化共生」論はその文言何人も反對し得ざるを以て勞働移民に對する懸念への説得に供せらるゝことに違和感を抱く者なり。
 移民による勞働者の數、我が國の人口減少より推計すれば數百萬を要すといふ。かゝる大量の就勞機會、日本國民の失業率を低く維持してなほ果して創出可能なりや。教育普及せば單純勞働を厭ふは世界共通なるも、高度の熟練勞働は又單純勞働の基礎の上に成立つも亦事實なり。我が國獨特の文化たる生業に勤む態度克く世界に誇る熟練勞働力を育くみ來れり。移民の文化亦多樣なる、之を「多文化共生」にて、この熟練勞働力の水準を保ち得るや。これらの疑問よりして凡そ國の基幹産業にしてその勞働力を自國にて調達し得ざるは、最早獨立國の産業に非ずと言ふべし。
 然らば少子高齡化に伴ふ勞働人口不足は如何にすべきや。基本的には熟練勞働に對する尊敬を含めたる評價とそれに基づく賃銀の上昇なるべし。これ經營者の最も忌む所なれども、實に熟練勞働力こそは我が國現代工業技術の根幹なれば、高賃銀は當然にして、豈經營を壓迫せむや。低賃銀のみを求め、安易に海外勞働力を求めむとするの愚を戒むる所以なり。
敍上の如く「多文化共生」の論は勞働移民の問題を何等解決する能はざるのみならず、美辭卻りて將來の禍根を内包すと言ふべし。我が國の場合、大陸、半島及び南洋より略三分の一宛の渡來構成なりとするも幸ひに歴史上民族紛爭皆無なるは比較的寛容の「日本」文化に歸化し、謂はば「一文化共生」を實現したるに由るべし。
容易に豫想せらるゝ過程は次の如きか。先づ


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