文語日誌 |
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文語日誌(平成二十四年四月) 市 川 浩 雜學大學 平成二十四年四月二十日(金) 晴 昨年二月文語の苑總會にて、特定非營利活動法人東京雜學大學理事長の菅原珠子先生に御目に懸かる機會あり、翌年の講義の一つとして、文語に纏る内容の講演依頼を受く。準備に十分の餘裕ありと承諾するも、その後かの意識喪失起り、特に本年二月より三月にかけての入院あり、豫定の四月十九日に講演可能なるや、懸念絶えざる所、幸ひ豫後順調にて、當日天候もよく、無事出講するを得たり。 場所は西東京市の柳澤公民館、西部新宿線西武柳澤驛驛前にあり。一時間前に到著するに、菅原先生既に御準備の最中、御挨拶も匆々に持參のパソコンによる動畫の映寫準備に入る。この動畫、二年前、日本グラフィックサービス工業會のホームページに上架せるものにて、公民館事務所の受信設備より無線LANにてインターネットに接續、會場スクリーンに、歴史的假名遣入力ソフト「契冲」の操作實演の動畫を映寫する準備完了すれば、早くも講義開始の時間となる。六七十名の方々會場をほぼ埋め盡す盛況に感激す。 講演の題名は「國語へのかなしみー一技術者の試み」とて内容は謂はゆる「國語の正常化」を文化の問題として捉ふるものにて、小生の最近の考へ方の變化を反映す。顧みれば「言語は意思疏通の道具なり」との前提の下、永きに亙り「道具」としての合理性の面より戰後の國語改革を批判し續けけるが、さりとて「正統表記」の合理性の主張も隔靴掻痒の感あるを認めざるを得ざりき。 轉機は「文語名文百撰」の編輯にして、記・紀、萬葉より昭和に及ぶまでの名文に接し、日本の歴史に思ひを致す程に、國語發展の歴史を學び直すに至る。即ち言語として成立後約二千年に亙り文字を持たざる時を歴て、漢字傳來するや、最初は話し言葉の記録專用なるも、次第に獨自の發達を遂げ、八百年後の鎌倉時代初期、藤原定家により、書き言葉は發音より獨立を果し、更に五百年後の江戸時代元祿期、契沖これに古代の文獻精査に基く理論的根據を與へ、今日歴史的假名遣として完成せり。 さすれば明治大正期にかけて、西洋文明の導入を視野に入るゝ新しき書き言葉、即ち口語體の建設に於て、古典文語との整合性を歴史的假名遣により保持せるは、正に言靈の幸はふ我が國語文化の中核をなすものにして、斯く考ふれば「現代の發音」に依據する「現代仮名遣い」は國語に於ける書き言葉の役割を再び「話し言葉の記録」に貶しむる文化破壞なる事自明なるを確信するに至れり。 講演にてはかかる事情を説明の上、この輝かしき文化遺産の傳承こそ我が世代が忘れ勝ちの責務にして、その爲には、文化は親や國と竝びて選擇不能の愛の對象なれば、萬葉より現代沖繩の言葉に至る「かなしみ」の「愛」こそ必要なれと、大慈大悲の言を引きて演題の持つ意味を強調す。 終了後、菅原先生始め、世話役の皆樣と驛前の喫茶店にて歡談、同世代の方多く、中學生時代の共通の話題に花咲く。中に講演の論旨に就き、言語はなほ文明の道具なり、文化傳承の對象に非ざるべしとの御反論あり、時間の關係にて十分討論し得ざるが心殘りとなりぬ。 |