文語日誌
推奨環境:1024×768, IE5.5以上



文語日誌(平成二十四年三月)
     
                  市 川 浩

突然の入院 (二)  
平成二十四年三月十五日(木) 晴 




 昨年五月十五日夕刻、突然意識を失ひ、帝京大學醫學部附屬溝口病院に入院以來、その原因明確ならざる儘經過する内、五箇月後の十月十七日、電車内にて再び意識喪失、幸ひ乘客の方々の御蔭にて短時間のうちに意識恢復、偶々溝口附近なりしかば、その儘帝京溝口病院へ直行、診察を受くるも腦に特に異常なしとて歸宅せる事あり。
 問題は寧ろ心臟にあるやも知れずとて、御紹介頂くありてホルターを裝著して二十四時間心電圖を觀察するに、狹心症豫備軍の疑ひ出で來り、二月三日血管造影劑による心臟冠動脈の撮影を行ひたるに、狹窄の存在を確認す。通院の便を考へ、爾後の處置を統合的に行ふべく、諸データを二月十日に受領し、三月上旬帝京溝口病院に提出の豫定とせり。
 然るに翌十一日夕刻、近くの道路通行中再び意識を失ひ昏倒、顏面を強打、救急車にて再び帝京溝口に送院せられ、脣の下十一針を縫ふ。一週間後拔絲の上、二月二十一日、心臟冠動脈のカテーテルによる血流檢査のため入院す。檢査後は一旦退院し、仕事を片附けつゝ今後の處置をと思ひたるに、二十二日の檢査にて、血流の涸渇かなり激しく、その儘入院延期、二月二十七日及び三月五日の二囘に分ち、カテーテル治療を行ふこととなれり。急遽豫定の取消數多に及び、各界に多大の御迷惑を御掛けす。
 第一囘のカテーテルは右腕手首より插入、左冠動脈の末端部の狹窄を治療、血流の恢復を確認す。一週間後の第二囘は同じく左冠動脈の根元水平部分に數ヵ所ある狹窄を同時に開鑿するかなり難易度の高き治療とのことにて、右足鼠蹊部よりカテーテルを插入、萬一に備へ、左足鼠蹊部にも豫備的カテーテル插入部を準備、バルーン及びステント操作約三時間にて無事終了す。
 術後カテーテル插入部の止血のため、絶對安靜を要し、足首を寢臺に固定し二十四時間、術中を加ふれば二十七時間同じ姿勢にて仰臥すれば、背中の痛み耐へ難きものあり。一度鎭痛劑の點滴を受くるも、その效果終るや背中の苦しみ更に加はり、麻藥中毒の禁斷症状もかくやと覺えたり。先に左足の注射器を外し、經過觀察後右足からも外して七時間後遂に絶對安靜を解除せられ、待望の寢返りを一つ打ちたるに、あれ程苦しみたる背中の痛み不思議にも完全に消失、仰臥姿勢の自由を奪はれたる心理的なる苦しみなりしかと納得す。
 翌日造影劑による術後の血流の畫像黒々と見事に恢復を表現するを見て感動措く能はず。翌三月八日退院となる。顧みれば、二月三日冠動脈狹窄發見以來この一ヵ月運命的とも言へる經緯にて、「生かさるゝ吾」を實感、唯々感謝の念日を逐うて深くなりにけり。
自覺症状皆無なるも、意識喪失は「無症候性心筋虚血」との診斷に至れり。糖尿病を病むゆゑの無自覺の可能性も指摘せらる。只一つ坂道を登るに息切れ激しく、但し只登りきればすぐに恢復する所より高齡化のゆゑと思ひをりしに、退院後その息切れ全く輕減あるを自覺す。心臟筋肉への十分なる血流補給により上り坂への健全對應を可能とせしめたるらむ。今後は坂道の息切れは重要なる警戒自覺症状なるべし。


▼「日々廊」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る