文語日誌
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文語日誌(平成二十三年十月)
     
                  市 川 浩

丸谷才一先生文化勳章  
平成二十三年十月二十五日(日)晴 




 丸谷才一先生本年度文化勳章受賞決定す。テレビのインタビューにて、出版社は舊假名遣にては本の賣行き減るといふも、おのれは然樣のことに頓著せず、歴史的假名遣を遣ひ續けむと明言せらる。殆どの文藝家、批評家など今や假名遣に全く關心示さず、「現代仮名遣い」を當然に使用する中、六十五年以上の間、歴史的假名遣にて通されたる先生のますますの御健筆を御祈りす。
 吾も戰後一貫して歴史的假名遣を固守し來れるが、言語は傳達をこそ重んずれば、大衆には易しき表記こそ肝要なれとする論に長く反論を摸索する中に、丸谷先生の「言葉と文字と精神と」にて、戰後日本人の言語能力の向上は戰前の思想統制と言論彈壓から自由となりたる精神の活溌化の效果にして、「國語改革」のゆゑに非ずとする論に大いなる感銘を受けたるを思ひ出せり。
 但しこれ昭和五十年代の論にて、同三十年代には、新しき教育制度、新カナ、當用漢字の採用により讀書能力を高めたりと書きたるは誤りなりきとの告白あり。丸谷先生にしてなほこの悔悟あり、戰後の國語改革への批判後れたるは無理もなからむ。この後れ、その後のITの發展に常に後れを取ることゝなれり。ワープロの出現は漢字制限の撤廢可能性を提供するも機を逸し、五十音圖に於ける「ゐ」、「ゑ」の復活も今日漸く議題に上りつゝあるも、既に普及せるパソコンのキーボードには最早この二文字(半角を含めなば四文字)を收納する餘地なきはこの例なり。
 杉村久英氏はこの現象を、半鐘鳴りし時火事既に燃えに燃え畢り、駈附くるも最早何も殘らざりきと表現す。既に文部科學省は、主任教科書調査官の名による著書を藉りて古典への「現代仮名遣い」適用を提唱、歴史的假名遣最後の據點たる文語體の改革意圖を示唆す。國語改革の壓痕牢乎として拔くべからざるが如し。然りと雖もパンドラの匣に「希望」殘るあり。今囘丸谷先生の孤軍奮鬪上聞に達するの慶事に際し、折角難を免れたる文語とそれに附隨する正字・正かなの復活急がざるべからざるなり。
 丸谷先生の作品、「文章讀本」にて谷崎潤一郎の「文章讀本」に於ける「文法に忠實に」の文言は英文法のことなりとの指摘に蒙を啓かれ、また「笹まくら」にては徴兵忌避のゆゑに正規の手續を澁る主人公に、放浪滯在先の村長が何も言はずに米穀通帳を渡す場面、戰時中にもなほ古き佳き日本人の心情健在なるを感じたるは何時のことなりしか。


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