文語日誌
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文語日誌(平成二十三年六月)
     
                  市 川 浩

濱岡原發停止  
平成二十三年六月十四日(火)晴 (五月六日の所感を録す)




 三月十一日、東北地方に於ける巨大地震竝びに巨大津波による復興遲々として進まぬ中、福島第一原子力發電所の事故は日を追ふごとに深刻化し、一ヵ月後の四月十二日には事故の程度をチェルノブイリに準ずる7に引上ぐるに至る。かかる状況下、菅總理中部電力濱岡原子力發電所の全面停止を要請す。靜岡縣知事これを「大英斷」と評價、マスコミ論調一擧に原發廢止に傾き、科學記者、評論家にして、敢て原發の必要性を安全面より論ずる者激減す。これまで原發贊成の論者は所詮さしたる信念も無く、御用學者的論を述べをりしか。
 今囘の總理要請は事實上の命令なれば、中部電力がこれを受容れ全面停止を決定せるは當然なり。然りと雖も今囘の要請には十分なる檢討の經緯を聞かず、特に福島に於ける事故の反省盛込まれざるを疑ふ。即ち福島事故の本質は、原子力設備本體の機能不全よりは寧ろ、基礎機能たる冷却系統の非常體制にあり、しかも事故以來三ヵ月を閲するもなほ冷却の復舊ならず、事態深刻化の一途を辿る。これを濱岡に就きて考ふるに、たとひ原子爐の操業を停止するとも、冷却はこれを長期間續くるを要す。もしこれを冷却要員のみにて行はば、天災その他の非常事態に重大なる人員不足に陷らむ。さりとて營業運轉も行はざるに多大の人員を保持するも無駄多し。寧ろ來るべき東海地震を想定し、安全對策を不斷に改善しつつフル稼働するこそ電力供給組織の社會的使命のあるべき姿なれ。
 然れども、世論既に反原發に傾き、發電所原子爐は十三箇月の操業終へなば、點檢に休止とともに二度と操業再開は期待出来ず、かくて來年中にはすべての原子爐は停止し、冷却のみの廢墟と化せむ。一方「自然エネルギー」は魅力大にして、原發事故以前より開発研究は鋭意行はるゝもなほ成果を得るに至らざりき。製鐵業に於て嘗て謂はゆる銑鋼一貫製鐵法の「二回熔融」の解決策として直接製鐵への期待高まるも、結局大量生産性に於て在來法を凌ぐ能はず開發研究も中斷の已むなきに至れる經驗あり。「夢の」或いは「魔法の」技術は一朝一夕に成るものに非ず、我が國の原子力技術も、四十年の蓄積を國民的議論もなく、弊履の如く捨て去ること、後世必ず大いなる憂へとならむ。
 これを要するに、我が國の世論を形成する言論人に、科學技術と其の現場の育成を温かく見守るの氣風少く見ゆるを奈何せむ。技術者の育成より、高校教育の低位平準化を大事とし、物理も化學も履修せぬまま理工學系への進學激増す。既に原發技術の基礎瓦解を痛感す。
(既に侃々院にて上架の「原子力政策」執筆以前の所見なり)


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