文語日誌
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文語日誌(平成二十三年五月)
     
                  市 川 浩

突然の入院 ―保田與重郎を讀む―  
平成二十三年五月三十日(月)雨後晴




 五月十五日夕刻、宮前區立圖書館にて借り出し書籍のコンピューター檢索中、突然畫面搖るゝと見るや意識を失ひ、氣が附きたるは救急車の中なりき。その儘帝京大學醫學部附屬溝口病院に搬送せられ、その儘入院となる。幸に外傷性の腦出血にて、謂はゆる腦卒中的症状は無きも、意識喪失の原因判然とせず、CT檢査行ふに古き腦梗塞の痕跡竝びに血管の極端に細き箇所を現像、三週間の要觀察となる。
 入院中は特に治療處置等無く、偶々保田與重郎全集第十卷を明徳出版印刷取締役の小澤深さんより拜借中なれば、晝間殆どをこの書見に過ぐす。此の卷は佐藤春夫を始め、土井晩翠、島木赤彦から三島由紀夫まで二十名の詩人、小説家に就き、昭和九年より同五十三年までの長期に亙る評論を蒐めあり、保田與重郎を理解する上には格好の入口ならむ。
無論退院後に至るも未だ通讀成らざれば、輕々に讀後感を述ぶるは避くべくも、一つ強き印象あるは、戰前戰後その論旨に一貫性のあるはさらなり、ただ戰前執筆の文章はかなり難解にて、數度讀み返すもなほ讀解困難なるに、戰後執筆のそれは極めて讀み易く、論旨の理解も容易なることなり。
 その一例を昭和十五年出版の「佐藤春夫」の「事變と文學者」に見るに、當時の佐藤春夫の作品、行動に關する知識乏しきゆゑもあり、。其の晦澁の文章理解に遠し。漸く、昭和七年の「コギト」發刊以來我が國に連綿と傳はり來し文學の傳統重視を主張し來たれる與重郎ら日本浪漫派を、反民族主義的面より批判し來たれる勢力が支那事變とともに逆にこの主張を乘取り、安手の日本主義を以て文壇主流となりたる歴史的事實を知るに至る。而して此の晦澁の理由は「宣戰と同時に思想統制を敢行した西歐の民主主義國家に比して我が國の和かな自由主義を私は記憶したい」の一文にて明らかとなる。即ち表面的には言論に自由ありとも、實質的の統制あるを慮れるものにて、言論自由の戰後の文章が讀み易きとの比較歴然たり。
 入院中病牀に臥してのみあれば、歩行能力衰ふるの恐れありと、愛甲次郎大人申されければ、病室周圍の廊下をひたすら歩行す。最終的に入院二週間にて退院す。されど暫くは謂はば戰力外の状況續き、關係の皆樣に多大の御迷惑御掛けする結果となる。すべて我が不攝生のゆゑなるを、なほこれを御海容下さるゝを有難く感謝し。この上は養生專一を心掛け、御恩に報いむと覺悟す。


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