文語日誌
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文語日誌(平成二十三年四月)
     
                  市 川 浩

想定外
平成二十三年四月二十一日(木)晴 (三月二十五日の所感を録す)




 三月十一日、東北地方太平洋沖にてM9.0の巨大地震發生、更に附隨せる巨大津波により、岩手、宮城、福島の各縣に甚大なる被害を賚せり。特に福島第一原子力發電所は津波により電源設備破壞せられ、原子爐の冷却機能喪失と云々。深刻の事態豫想せらるゝも、政府發表はいささか樂觀に過ぐる印象ありて、事故對策に遲れを懸念す。但し現場にては事故終熄に向けて必死の作業行はれをり、局外の批判は愼むべく、たゞその成功を祈るのみ。
 ここに識者の言に「想定外」の語を頻りに聞く。その論ずる所、或いは地震規模の想定の不足を論じ、或いは設計の免責を述ぶるも孰れも正鵠を得ずと言ふべし。機械設備など謂はゆるハードウエアの設計には工業化社會を前提とする以上、豫見せらるゝ危險の評價、想定を一定の經濟的要件との整合性に於て考慮するは當然にして、その意味にてはM9.0、或いは津波高さ30mを「想定外」とするも已むを得ざらむか。問題はその設備の運轉即ちソフトウエアに「想定外」を論ずるにあり。そもそも人生に於ては常に「想定外」の事象に遭遇し、それぞれの經驗と智慧とに依りて對應し來れる事、小は入學試驗、大はかのアポロ十三號の例に俟たず。
 原子力發電所は現代工業技術の集大成なれば、その技術職員は原子物理學の研究者とはその職能を異にす。原子力の專門知識はさらなり、されど寧ろ博く工場操業の要諦修得を必須とす。しかも我が國に於ける原子力發電所は昭和四十六年の操業開始以來四十年、漸く長期間の經驗を有する人材の集團を得るに至る。津波による冷却系統の破損は假令「想定外」なりとも、以後の對應には日頃この貴重なる知的財産の繼承、工夫、訓練の成果顯るゝものにて、結果として後世の批判如何ならむや。
 昭和の三陸津波、チリ地震津波を經驗し、「命てんでんこ」と津波の恐ろしさを紙芝居にて傳へ續けたる田畑ヨシさんは宮古市田老の長大防潮堤に頼らず逸早く避難、居宅は喪ふも身は安全を保つ。テレビに映る平常に易らぬ姿に日頃の心構へ斯の如しと敬服す。。
 十一日の當日夜、川崎市にては九時間の停電あり、交通杜絶も長時間に及ぶ。店先の品不足、買占めなど、東北地震の首都圈への影響大きく、その防災體制意外の脆弱性を感ぜしむ。更に我が身を顧みるに、水の汲み置きも緊急持出し準備もなく、有事への備へ亦不十分なるを痛感、反省すること大なりき。


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