文語日誌 |
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文語日誌(平成二十二年十二月) 市 川 浩 ノーベル賞 平成二十二年十二月十一日(土)晴 日本時間本日未明スエーデン、ストックホルムにてノーベル賞授賞式あり、日本の鈴木章、根岸英一兩先生化學賞に輝く。本年掉尾を飾る快擧なり。一方平和賞は中國人人權活動家 劉曉波氏の受賞となるも、本人は中國政府により服役中、其夫人も拘束せられて、缺席のままノルウエイにて授賞式行はれたりと云々。 ノーベル賞は二十世紀初頭より授賞始るも、我が邦人絶えて受賞のこと無かりしに、戰後昭和二十四年湯川秀樹博士物理學賞受賞を嚆矢として、今囘まで十八人に及び、部門別にも經濟學賞を除きすべて網羅す。明治の文明開化より百有餘年を經て我が國にもノーベル賞の花咲く季節とはなれり。 經濟學賞は昭和四十四年(一九六九)に創設せられ、受賞者にはポール・サムエルソン、フリードリヒ・ハイエクなど名を列ぬ。二十世紀はマルクス主義の時代といはれ、謂はゆる自由主義との葛藤は特に西歐知識人の最大關心事たり。其深刻なる思索より出でたる新しき經濟學が上記の如き受賞となり、延いて「自由陣營」の冷戰勝利に貢獻せること記憶に新し。 飜りて當時の我が國の言論界を追想するに、識者直接にはソ聯式社會體制に贊同せざるも、社會主義に好意的の立場を是としてマルクス主義に代るべき經濟學の創建には冷淡なれば、二十世紀最大の思想問題に正面より取組む能はずして、經濟學賞に値する業績産み出すなく、延いて「冷戰ただ乘り」の汚名を蒙れり。 されどこの事實必ずしも我が經濟學者の責には非ずして、文化の異るにある素因を考へざるべからず。嘗て聞く、經濟學の措定する「人間」は「經濟的人格」なりと。即ち經濟理論は「經濟的人格」の行動を論ずるより生ず。此或いは西歐社會にありては自明のことなるべく、曩にはグローバリゼーションの旗の下、經濟學賞受賞學者が金融投機必勝プログラムの開發を主導せりと云々。然るに今囘化學賞受賞の我が兩博士はクロス・カップリングの業績を特許化せず公開せり。これ「經濟的人格」の行動に非ざれば謂はゆる經濟學は其基礎を失はざるを得ず。かかる文化に生くる我が國人が單に「經濟的人格」を前提とせる經濟學の研究を苦手とするも宜なり。 これを要するに、「經濟的人格」に「道義的人格」を加へて經國濟民の學として我が國獨自の經濟學を打立つれば、經濟學賞もまた受賞期して待つべきなり。 |