文語日誌
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文語日誌(平成二十二年九月)
     
                  市 川 浩

以和爲貴
平成二十二年九月十七日(金)晴




 この程「日本の歴史を名文で辿る」と題せる講座を開く。件の「文語名文百撰」は一面國史くにつふみ表象あらはれなれば、是を用ゐて日本の歴史文化を省みるも宜からむと企畫もくろみしたるに、幸ひに採用とりあぐる處となれり。
 全九囘の最初は舊石器より平城京まで主として、稻作、文字・漢籍からふみ、佛教の傳來を述べ、外來文化の受容うけいれ消化こなしは本朝の歴史を貫く一つの主題なるを説き、進みて漢文訓讀の始めに至り、、先づ推古天皇の皇太子ひつぎのみこ廏戸豐うまやとのとよみみ皇子のみこ憲法いつくしきのり十七條とをあまりななをち拔萃ぬきがきを全員にて音讀となへよみす。
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。是以、或不順君父、乍違隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
 日本書紀卷第二十二推古天皇十二年夏四月の條に載す。
 この冒頭はじめは今日普通に「いちいはもちたふとしとす。さからきをむねとす」と訓む。されど「和」を「わ」と訓みては「和平、和睦」と「和顏、柔和」と孰れの「和」なるや判然とせず、剩へ「體制順應」の意をも感ぜしむ。ここに國語學の泰斗故大野晉先生同書の綿密なる考證を經て往時そのかみの訓讀を復元し給へるありて、これをるに「やはらぐをもつてたふとしとせよ」とあり。さすれば次の「人皆たむらあり」より「また隣里に違ふ」まで、「」は寧ろ「たちまち」と訓みたく、異る意見簇出するを言ひ、これを上も下も柔らに主張いひはりし、ゆめ忤ひたる風儀ふりなく、穩やかに議論を結論に導かば何事も成らざるなしと道取するを得るなり。後段に「然上和下睦」とある「和」には既に「やはらぎ」のよみあるに氣附くべく、古人合議の如何あるべきや既に深き理解に達せること斯くの如し。
 かく説き來りて、最後の第十七條後半 唯逮論大事、若疑有失、故與衆相辨 辭則得理。
の「辭」は當時も「こと」と訓みたるやうなれど、「辭」は「やむ」(辭任、辭退など)の意に訓むべく、論議大事に及ぶ時は失敗するやも知れずと考へ廻らし、故に衆智の集る所「むべし」とならば、罷むること亦理のある所と受容るべきを言ふと結べり。
この「憲法」は「政務要領」とも解すべく、「和」といひ、「辭」といひ、深く味はば今日十分應用可能の概念たるに氣附く。これ講師の餘得なるらむ。


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