文語日誌(平成二十二年七月)
市 川 浩
論語臆解
平成二十二年七月十二日(月)晴
論語は吾漢文を中學校にて學びしより、折にふれ繙き讀むこと數十年を閲す。現代文にて通讀
の始めは、澁澤榮一翁の著せるものにて、初めて夫子嚴格き中に諧和ぐの風あるに思ひ至れるは、陽貨第十七
第四五五節なり。
子曰。飽食終日無所用心。難矣哉。不有博奕者乎。爲之猶賢乎已。
子曰く。飽食して終日心を用ゐる所無し。難き哉。博奕なる者有らずや。之を爲すは猶已 むに賢れるがごとし
當時高校生、兵火の餘燼なほ收らず、とても飽食とはいひかぬるも、日がな一日ごろごろし、我ながら生墮落しと思ひける所にこの章讀みて、夫子にしてなほ弟子にこの歎きあるかといたく心を動かされ、勉強めと父母の誡をば蔑にせるを悔みたり。
四書五經は我國人の學問の初めに讀むが習にて、假令意味通らずとも諳誦じおかば、軈て生死の關頭に立つの時必ずや腦裡に蘇り、進退を過たざらしむとなせるを、明治の御一新以來何時しか忘れ去らるゝの間、奇しくも原田種成先生に親しく教を受くるの幸ひに遇ふあり、爾後幾多の大儒、大家の筵に侍ふを得。
然る程に漢文を讀むに恰も英文を讀むが如く、漢和字典にて文字の意味を閲するに、世に演ぶる所餘りに難解く、例へば論語の學而第一第一節「不亦説乎」の「説」は「悦」なりとて「またよろこばしからずや」と訓ましむ。然るに若し「説」の第一義「ときあかす」を用ゐ「またとけざらむや」と訓まば如何。即ち前句「學而時習之」との聯關明らかなり。特に「時」は四六時中の意味なれば、復習を絶えず繰返す内に遂に曉通ずるを言ふ。恰も禪の悟を開くに似て、その不意に來る樂しさは、次句「有朋自遠方來」そのものに非ずや。但しその樂しみ只管復習の苦勞の果に享くるものなれば、凡俗の人に強ふべくも非ずして、況してこれを知らずとて、敢へて咎めざるを君子の態度とす。「人不知而不慍」、「不亦君子乎」をかく見來ればこの節學習の本義を説きて過ぎたるも不足るもなし。
この説二三の友人知己に示すに概ね肯んずも、師の君仰せらるゝに、學問的には先哲已にかかる論を出せるなきを確かめ、從前の説をすべて否定するを要す。獨り伊藤仁齋舊説を脱出て直接夫子の言を論ふ。爾平成の仁齋なるやと。即ち隨筆として「國語國字」に載せ、一端を文語體にてかくは書き出せるなり。
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