文語日誌
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文語日誌(平成二十一年十二月十五日)
     
                  市 川 浩

墓參紀行
平成二十一年十二月十五日(土)晴風




 家内と二人高田なる當家の墓に詣る。晩秋已に冬の氣色ある所に、強風ほくほく線を襲ひ大幅の遲延生ず。以前強風による脱線事故ありて、爾後大事を執り運行見合するを對策とす。しかもこの路線單線運轉にて、その「行き違ひ」は精緻なる時刻表により維持しをり、一度ダイヤ亂るれば、風止むと雖も運行直ちには適はず、その影響する所大きく、遂に特急券拂戻しとなれり。なほ「行き違ひ」とは然るべき驛に複線を設けて往復の列車を通過せしむるをいふ鐵道術語なるべくも、日常語にては物事のちぐはぐ或いは人に行逢へぬさまを表し、違和感あるを免れず。
 直江津より高田への信越線の幸便も早無くなればタクシーを飛ばす。風は何時しか收りて柔き日の射す小春日和に先祖の御計らひと感謝の墓參を濟ます。菩提寺を訪ひ明年父の二十三囘忌、母の三囘忌法要併催に就き相談し畢ふれば、早正午を過ぎ、豫定せる高田にての晝食を省き、直ちに發ちて水上温泉を目指す。本來は直江津より越後湯澤經由なるも、ほくほく線の運休あり、經路變更して信越線を上り乘換驛高崎に至る。驛蕎麥にて些か空腹を癒す程に水上温泉行豫定通り發車す。されど大きく迂囘したれば當初豫定を遲るゝこと一時間にして宿に到着す。
 水上温泉は初めて訪るゝも佛果の御縁にや、利根川の源流に近く、夙にその名高し。曾て群馬縣(上野國)利根郡のこの地に水上、月夜野、新治の三村あり。新治は「にひばる」とて倭建命ゆかりの常陸國なる「にひばり」と區別せるが、この三村町村合併により今「利根郡みなかみ町」といふ。みなかみ町の水上温泉とは、埼玉縣のさいたま市に似てひらがな地名の愚ここにまで及ぶ。奧利根の川音聞え、周圍の山紅葉して豪雪の冬將に來らんとす。冬スキー客あるも旅館の數かなり減少せりと言ふ。
 宿は當地最古の歴史を誇り、先代の蒐むる名畫、上村松園、川端龍子など大家の作品數多無雜作に廊下に掲ぐ。當代は九十六歳元海軍軍人にして前の大戰に出征、長身なほ矍鑠として客を送迎す。湯は源泉を僅かに加熱せる、疲勞恢復に著效あり。鰻美味し。
 東京より上越への墓參今にしてかなりの大旅行なるも、状況の許す限り今後も續けむとの思ひ新たに歸京す。


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