文語日誌
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文語日誌(平成二十一年三月)
     
                  市 川 浩


平成二十一年二月二十七日(土)晴




 我庭に今、鵯、椋鳥、鶯、雀など訪れ、パン屑等啄み遊ぶ。招かざる鴉の飛び來るはうるさけれど、季節毎に訪るゝ鳥の賑ふは樂し。
招かざる客に猫ありき。或る日、外より歸りたるに鴉の異樣なる鳴き聲を聞く。振返るに胸より腹白く背中灰色に黒の虎縞なる猫パン屑を喰はむとす。我を見て一旦は逃ぐればその儘内に入らむとするや猫戻り來て鴉再び聲を上ぐ。家人出で來り、此の猫は御近所の知人の猫なれば、逐はずに措けりと。以來此の猫屡々來りて我庭を眺め暮らす。家人この事知人に告ぐるに、ならば御八つ代りに與へてたもれと猫用ペットフードを托しぬ。かくて鳥はパン屑、猫はペットフードと餌を棲み分け、鳥どもも何時しか噪がずなりけり。さる程に一日その知人我家を訪ふ。偶々、猫の來り居る状見せむとて庭に案内するに、「これ他家の猫なり、近頃我が猫何に怖づるやこの邊りを避く。さては此の猫威したるらむ。もはやペットフードなどな與へそ」と、思ひも掛けぬこととはなりぬ。さりながら、猫違ひは此の猫の科には非ざれば、掌を反すがごとくに餌を與へざるも如何なりやと、別にペットフードを購ひて與へ續けつ。たゞこれを境に猫は餌を得るやそそくさと何處ともなく去りゆくが習ひとなれり。
 知人の曰くに猫は飼主以外には決して懷かざれば、餌盡くれば去るに何の不思議やあると。庭を眺め暮らせしは餌にあり附くまでの辛抱なれるかと半ば呆れ果つるも、なほ猫違ひを愧づるが如くに見ゆるもいとあはれにぞおぼゆる。飼主は杳として知れずも、毛に汚れもなく飢うる樣もなければ、野良猫にはあらじ。猫を飼ひたること無ければ、猫の何を思ふや知る由もなけれど、何となく我言葉を解するにや、近寄りて聲を掛くれば逃げもせで「ニャオ」と答ふるも不思議の心地ぞする。朝雨戸を繰ればすでに待ちゐる姿見るうち、次第に情の移りゆくもをかし。猫に靈の力宿るともいふ。我見る所、猫には人の心を蕩かす力あり、その仕種に惹かれ猫好きの人世に斯くも多かるらむ。浮世の付合も猫に學ぶは如何、初めは周りを眺めて過ぐし、聲を掛けらるればにこやかに對へ、まめまめしからば信を得ること易かるべしとなむ。


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