文語日誌
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文語日誌(平成二十一年二月)
     
                  市 川 浩

黎民於變時雍
平成二十一年二月七日(土)晴




 漢土に十三經あり。論語、孟子、大學、中庸を四書とし、易、書、詩の三經に禮記、春秋を加へ五經となす。中庸を禮記に含め周禮、儀禮の二經と數へ、春秋を左傳、公羊傳、穀梁傳の三傳と算ふ。加ふるに孝經、爾雅を以て十三經とす。本朝にても長く必須の修學書たるも、明治の文明開化、歐化の風潮に現今顧みる者殆ど無し。我等安岡學研究會にて天下の碩學に教へを受くるの仕合せは更なり、嘗て吉田松陰先生野山獄にて孟子を講ぜらるゝや、獄囚自づから輪讀を始めたる故事を踏へ、會員も自主的に經典を學ばむとて去年孝經素讀に挑戰、その先達を勤む。一年にして讀了、幸ひにして好評を得、今年は書經に取組まむと衆議一決せり。再び先達を仰せつかり初めて加藤常賢先生著「書經」を手にす。古今の注疏を渉獵參酌して微に入り細を穿つの解説到底素人の及ぶ所にあらず、企圖壯なりともなかなか實行は覺束なく、虚しく頁を繰るのみ。
 講談寛永三馬術愛宕山の段に、馬にてその石段を驅け登り山頂に滿開の櫻の枝を折り取りて參れと上意あり、數多の馬の名手悉く石の中段にて落ち果てぬる中に一人曲垣平九郎見事に櫻の枝を將軍家光に獻上せりとあり。この時平九郎、いざ石段の入口に差しかゝるや馬を止むること數度、衆目さては臆したるかと見る間に、馬は次第に首を擡げ、遂に己が登らんとする石段の全貌を見るに至りて一鞭、忽ち驅け上りしとぞ。
我も馬の氣になりて此の書を幾度か眺め反す程に、文字の腦内にてなにがしかの像を結ぶを感ず。冒頭の一節は古代の堯帝の治世を讚ふる「堯頌」、允恭、欽明の畏き諡號を始め多くの人名もここに由來し、更めて先人深く本書に親しみ來たれるを知る。更に「百姓昭明 萬邦協和」と前の元號昭和の典據を見るも懷かし。續きて「黎民於變時雍」とあり。難解の注あるも、ここは敢て「黎民變時にやすくし」と素直に訓じて、堯の帝力も及ばざる旱魃、洪水、蝗害、兵亂など變事ありても堯帝を信じて安心立命の人民を表現すと解せり。
 以爲、此の一句また我が國柄を表して過不足なしと言ふべきにあらずや。我が祖先世々變時に泰然たること多くの史實に見ゆ。幕末江戸に砲聲響く中にありて、福澤諭吉塾生をして勉學に專念せしむ。過ぐる大戰末期相次ぐ敗戰に焦土と化す中にもなほ平生の心を保つの寡からざるを今に想起す。諭吉慶應義塾を開きて百五十年、百年に一度の經濟危機とて世を擧げて狼狽奔命に疲る。かかる際にこそ「變時に雍」き態度肝要なるらめ。


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