文語日誌 |
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文語日誌(平成二十一年一月) 市 川 浩 通俗二十一史 平成二十一年一月五日(月)晴 漢土に王朝易姓してその正史司馬遷著す史記より算へて二十四史に及ぶ。ここに本朝は江戸期、文運大いに榮ゆる中にこれら正史を訓讀讀解し以て底本とせる「軍談書」、先づ「通俗三國志」世に出づれば忽ち洛陽の紙價を高からしむ。これ元祿二年のことなり。これより毛利貞齋を初めて、多く匿名の漢學詞藻に長たる文人等或いは上古に遡り、或いは後代の史實を取り、百年の後寛政十年「宋元軍談」を掉尾として軍談二十一册刊行せられたり。明治の文明開化唐土の學は顧みられず、既にしてこれ等軍談も散佚せるを惜しみて早稻田大學出版部博搜して、全二十一册を蒐集、校訂して明治四十四年題簽「通俗二十一史」とて發刊せり。 我が祖父之を愛讀して已まず。我も中學入學により漢文、東洋史を學び始むとて祖父の書棚より取出したるに、なるほど面白きこと限りなし。かくて之を順次讀進まんとするに、米機B29我が家を襲ひ總て灰燼に歸す。それより祖父の法事の折など話題にこそなれ、絶えて目にする能はざれば、何時しか忘却し畢んぬ。さるに平成十一年三月、田園調布の古書肆「りぶらりあ」の飾窓に「通俗二十一史」の陳列を見る。紛ふ方なしとて店内に入りて聞くに全卷揃一萬圓なりと。即ち購入して繙けば往時と易はらぬ字面懷かしく、何より漢文訓讀調の律動感久しく忘れをりし國語正統の文體に目覺めたり。燒失後五十五年の歳月を閲し、更に後年茶苑にて之を抄するに學生諸子また甚だ之を愛好するは國語の生命力なほ健在なるを知る。 臘月文語の苑忘年會にて偶々話題之に及ぶに、粤王大人宣はく、余また年少くして「通俗二十一史」を愛讀せり。しかるに終戰直後蒼惶の間に折角空襲燒失を免れし該書も賣却の憂き目に遇ふ。爾來時に之を求むれども得ず。若し爾持つあれば余に讓れかしと。隣卓に土屋大兄あり、古書に通ずるを以てこの事諮るに、直ちに搜索して忽ち翌朝神保町なる叢文閣に一揃へ有りと報ず。粤王大人大いに喜び早速に御發注あり、今岡崎研究所應接室書架にその背表紙を燦然と輝かす。 藤原正彦先生曾て申さるゝに、少年にして讀み感動せる書壯年にして再讀すとも感興未だしと。「通俗二十一史」はその稀有の例外なるべし。 |