文語日誌
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文語日誌(平成二十年十月)
     
                  市 川 浩

地久節
平成二十年十月二十日(月)晴




 本日は皇后陛下御誕辰の日にして、戰前は地久節なる祝日にてありき。此の日の朝日新聞
 「皇后さまは20日、74歳の誕生日を迎えた。これに先立ち、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せた」(第30面)
と報ず。「皇后さま」と發語して「迎えた」の「寄せた」のと照應もあるものかは。もし、「皇后さま」を「日本皇后」又は「美智子皇后」などとせば一應首尾一貫すと雖も、これ外國人の日本語にして、日本人のものに非ず。
 「二十日、皇后樣七十四歳の御誕生日に當り、宮内記者會からの質問に文書での御答へがあつた」。
 「二十日、后の宮生れまして七十餘り四とせになり給ひぬれば、宮内の記者等御心の内、御けしき承け聞き參らすに、書遣はされ給ふ」
などとせば、日本人の日本語なるべきにと歎くも爲ん方なし。
 ここに米國ハーバード大學にて日本歴史を學ぶ K.M.Lawsonなる人あり。[天皇制]を英譯するに通俗の Emperor Systemとせず、Imperial Institutionとする等、かなりの學識を思はするも、敬語を論じて曰く、「天皇への敬語一切遣はざるは、世に與ふる變化微小なりと雖も、天皇より特別の地位を剥奪せむに瑣末的なるもなほ重要なる一歩なり。吾人 [天皇制]はたとひその儘存續せしむとも、衰微、無力に止めおくべしと信ずるがゆゑなり」と。更に「此の考へ日本人ジャーナリストも贊意表するあるべし」と。朝日新聞は日本人として斯かる外國人を代辯して餘りあり。
 Lawson氏の論、餘計の御世話に過ぎずといふは易し。然れども背後に「敬語は[天皇制]による、人を支配・被支配の關係におくもの」なるイデオロギーの影見ゆれば、其の淵源米國人の發想なるや、或いは日本人に依る日本語教育なるや、懸念生ずる所なり。前者とせば、[天皇制]廢止を望む勢力、コミンテルンのみに非ず。近くはエチオピア、イランの王制廢止に歐米密かにこれを歡迎せるに非ずや。また後者とせば、誤れる對日認識國益を害する甚だしかるべし。日常敬語の活用は國語の基本的立居振舞にして、固より文化廳國語分科會にあれやこれやと指圖せられて、あやしき敬語を「使はせらるゝ」ものに非ず。國民各人の表現工夫今より肝要ならざるはなし。


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