文語日誌
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文語日誌(平成二十一年七月)
     
                  市 川 浩

文語名文百撰出版記念會
七月七日(月)薄曇




 豫て編輯の文語名文百撰漸く上梓の運びとなり、本日出版記念會とて、文語の苑、茶苑關係者始め、愛甲先生縁りの御方々數多平河町都市センターホテルに集ひ給ふ。受付にて、岡崎先生の枕言葉を連ぬる洒脱の御挨拶竝びに鹽原先生の産經新聞「國語斷想」を添へて刊本一册を差上ぐ。宴席にて繙き給ふも多かんめれば御感想や如何にと思ひ浮かる。
 冒頭に藤原先生御講演あり。近ごろの學生、己が産れたる我が國の歴史を恥づと云々。我が民族「恥の文化」に生くとはベネディクト女史夙に指摘す。前の大戰に於ける「生きて虜囚の辱を受けず」の戰陣訓により可惜有爲の將兵を失ひしこと記憶に新しきも、なほ「恥の文化」我等が胸中にありて、俯仰天地に「愧ぢざる」行動は當に日本人の本懷これに勝るものあらじ。然りと雖も、例ふれば、ベネディクト女史のいへる西洋の「罪の文化」にありては、一旦罪を得ば則ち罰之有るに、一旦恥を見たるの後のこと分明ならず。
 越王句踐は會稽に辱められて臥薪嘗膽す。本朝にては大山津見神姉娘石長比賣醜しとて返され給ひしにより、天つ神の御子の御壽は木の花のあまひのみ坐さむと白し送り、太田道灌簔を借らむとて山吹の和歌を知らず、發憤して學成る。更には大石良雄主君殿中刃傷の譏を吉良邸討入に晴らせり。これらすべて雪辱、雪冤の志を見る。然るに明治の先人この志失ひたるにや、自然科學の西洋に及ばざるを愧ぢて、二百六十年の熟成を見たる江戸文化を惜しげもなく棄つ。維新の鴻業半減し遂に未曾有の敗戰を喫す。今日「雪」は「ゆき」とのみ訓じ、「すすぐ」の訓を禁ず。剩へ、テレビ「恥をそそぐ」と誤つ。かくては「恥かしき日本人」よりの逃避を求めて、むしろさるべき外つ國に解體、吸收を望むに至らむ。外つ國にとりては垂涎の展開なれば、これが促進に新たなる謀略も出で來るべし。
 雪辱、雪冤かならずしも報復を意味せざること、上記に明らかなり。その志ありて初めて「恥の文化」完結す。また我が國の歴史に汚辱なしとせざるも、榮光亦數多あり。徒らに恥ぢず、亦驕らず、平らけく全てを受け容れて後愛國の心生ず。文語名文百撰出版の宴に列なりて本書の役割いよいよ重きを思ひたり。


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