文語日誌 |
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文語日誌(平成二十年五月) 市 川 浩 母の納骨 平成二十年五月三日(土)晴 母身罷りて早四十九日も近づきぬれば、納骨とて子、孫、曾孫擧りて上越へ赴く。大型連休にて、越後湯澤より直江津の間、ほくほく線特急は座席指定とれず、僅か二輛の自由席は已に滿席、乘客廊下にあふれ終始立ち通す。俥にて來れるは未明に出立しけるとぞ。 菩提寺は高田驛近くの西山光國寺、淨土眞宗御西の寺なり。このわたり寺町といひて、道に沿ひて寺數多立ち竝ぶ。タクシーはその寺々を熟知、寺の名前を告ぐれば則ち行く。葬儀にも導師を勤められし御住職本堂にて四十九日法要を勤行、此度も讀經畢りて後、御文章「白骨の章」讀上げらる。東京にては口語讀誦なりしが、此處にては原文どほり文語なり。幼き曾孫どち如何に聞きたるにやあらむ。永代の供養たのみ參らす。この寺曾て火災に遇ひ、過去帳數多失はれければ、我が家の祖先も三代より前は辿れず。その初代我が曾祖母の祥月命日、母の命日に同じなるもゆかしげなり。 高田は今直江津と合併して上越市といふ。同じ市なるに直江津は海に面して冬も雪積る事尠けれど、高田は雪深く道に「雁木」を列ぬ。我が國スキー發祥の地なり。當時高田聯隊にスキーの技を傳へしレルヒの像立つ金谷山の麓に墓所はあり、二代我が祖父の建立なり。遺骨は骨壺より墓室へ移し土に還る母に花を捧ぐ。 本年(平成二十一年)三月十四日同所にて一周忌法要を勤行、高田市内既に積る雪なし。地球温暖化是に見るも母には好き陽氣なり。 |