文語日誌
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文語日誌(平成二十年三月)
     
                  市 川 浩

母を喪ふ
三月十八日(火)晴




 夜前日附も更る頃、夢に電話の鳴るを聞き目覺むるに、弟より母危篤の傳言殘りゐる。急ぎ起き出でて家内と共に俥を拾ひ、病院へ趨く。二時近く入口に弟待ちゐたりて、一時過ぎ臨終と告ぐ。やがて處置了りて對面、穩やかに死を迎へたるかんばせに手を合はす。

 數へ年百歳、明治、大正、昭和、平成の四世を生き拔き、中にも東京大空襲に遭ひて、昭和二十年五月二十四,二十五の兩日自宅と實家の二つを喪ふが上に、食べ盛りの吾等三兄弟を養ひ下されしこと鮮やかに思ひ出でらる。やうやう明けゆく空に、夕霧が義母紫の上の死顏を覗き込む「御法」の一節蘇る。
 


小雨
三月二十四日(月)




 前夜の通夜に引き續き、告別式も高田(越後)なる菩提寺の淨土眞宗御住職導師を勤めらる。讀經の後、蓮如上人の御文章を讀まるゝが本日は「白骨(はくこち)の章」なり。奇しくもこれ制作中の「文語名文百撰」に輯録、大谷光真尊師の解説文をいたゞき、呉音假名遣校正の直後なり。この日早くも初七日なれば拾骨後法要も引續き營む。げに光陰は矢のごとく、行く川の水は再び戻らず、朝目覺めて一期一會の日を送らんとの氣持無くんばあらずと。それにつけて、自ら不(ふ)孝(けう)なる、「孝經」にいふ「而患不及者、未之有也」は「及ばざるを患ふる者未だ之有らざるなり」にあらず、「患ひ及ばざる者未だ之有らざるなり」なるかと、母を喪ふの悲しみ胸に迫れり。


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