文語日誌
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文語日誌(平成十九年六月)
     
                  市 川 浩


三百代言
五月二十四日(木)晴

 光市に於ける母子殺害事件、地裁、高裁とも無期懲役の判決に犯行計畫的且つ殘忍、死刑を免るゝ理由なしとの最高裁判決を受け、本日廣島高裁にて差戻し審理始る。二十一名を算ふる辯護團一轉して、殺意無く、過失致死なりと主張す。論旨荒唐無稽正に平地に波瀾の白日夢と見ゆるも、贊同の辯護士かくも多きは、專門的にはかゝる立論も亦可なるか。司法の專門家たる裁判官も亦その例に漏れざるを思はば、法治主義の行き著く所斯くの如し、恐ろしきことにこそあれ。言語固より全てを覆ふ能はず、法律は言語を以て表現するものなれば、擴大解釋の餘地常に存すと自戒せざれば、やがて司法獨裁の世となりぬべし。


強行採決
六月一日(金)晴

 本日未明、年金關聯法案衆議院にて可決せらる。委員會審議にての委員長職權による「強行採決」の模樣テレビ屡放映す。採決を求めむとする委員長とこれを沮止せむとする野黨議員との揉み合ひを視て感あり。過ぐる昭和三十五年五月二十日未明、安倍現總理の祖父岸首相日米安保改訂條約の批准を「強行採決」せるが、この時は野黨議員を院内警察力を用ゐて制壓したるものなり。丸山眞男教授ら政府の議會政治鏖殺を大いに論難し、反安保の學生ら激昂して國會を包圍す。遂に條約批准自然發效の翌日岸内閣總辭職に至る。半世紀後の今日、この條約の評價やうやく定れり。これを想はば本法案の評價も後世に委ぬべきなれど、今囘の「強行採決」は腕力の行使むしろ野黨議員にして内容往時に異りたり。兩者を同名にて呼ぶは名辭の紊亂を招くものなれば、前者を「強行可決」、今囘は「採決強行」と呼ぶべきにあらずや。



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