文語日誌
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文語日誌(平成十九年四月)
     
                  市 川 浩


喜多能樂堂坿落し
四月二十一日(土)晴

 喜多能樂堂、正式には喜多六平太記念能樂堂の舞臺床面やうやく朽敗進みたればとて、舊臘より張替作業行はれ、本日坿落しの演能あり。最近は樹齡高き檜材もえ得ざれば、目附柱等柱の類は元の儘に古ぶる中に、眞新しき檜の舞臺白く明かりて輝けり。粟谷幸雄師シテを勤むる「翁」の他、能「高砂」、狂言「文藏」、仕舞「弓矢立合」などあり。特に「翁」は初めて觀る。地謠の座も常には非ずて囃子座の後に隱れ、重々しきシテの神舞に續き、狂言方の三番叟勇しく舞ひ、獨特の演出を見す。狂言「文藏」も初見にて中にシテ源平盛衰記を諳んずるあるは今の講談の始めここにありとなむ覺ゆる。


昭和の日
四月二十九日(土)晴

 昭和の御代には「天長節」、戰後「天皇誕生日」なりしこの日、平成の十八年間「みどりの日」を經て、本年より「昭和の日」となる、正に激動昭和の名を顯す。平成九年「みどりの日を昭和の日に改むる國民ネットワーク」發足以來、衆議院、參議院それぞれ一囘づつ通るも成らず、平成十七年三度目に兩院通過するまで關係者長年の奮鬪ありしとぞ。テレビなどマスコミはこの經緯を報ずるなく、卜部元侍從の手記に戰犯合祀は先帝天機麗しからずとあるを頻りに取上ぐ。識者色々に叡慮を臆度申すも多く一斑を見て全豹を卜するの憾あるを奈何せむ。僭上の譏もありなむとこそ。



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