文語日誌
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文語日誌(平成二十二年六月)
     
                  小椋智美

萬葉集卷十九 四一三九、四一四三




 我、專攻課程における演習の一つに上代文學を選擇す。擔任の師、嚴しくも温かき、母の如き人なればなり。彼の演習、「萬葉集中より各々自由に歌選び、調べ、論ずべし」と師ののたまへば、皆まづいづれの歌を選ぶべきや、いづれが易し、難しと囁き合へり。
 同じく我も迷ひぬ。集中の歌、全二十卷に四五〇〇首を數ふ。意味だに取り難きも多ければ、などて此の演習を選びたると悔めども致し方なし。面白きことも出で來らむとて萬葉集の卷を繰るうち、見覺えある歌と出會ふ。
  卷十九 四一三九 大伴家持
 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出立つ娘子
高校の時分、古典の老師の熱く語るを思ひ出す。ならば、とて此の歌をまづ選ぶ。また一首、
  卷十九 四一四三 大伴家持
 もののふの 八十娘子らが くみまがふ 寺井の上の 堅香子の花
先の歌と比するに相應しきを理由とす。
 春の苑紅にほふの歌、春の日に桃の照り輝くさま、少女の若く美しきが靜かに立ち出るさま相對し、一枚の繪の如く、絢爛にして艷麗なり。對してもののふの八十娘子らがの歌、多くの少女のさざめき笑ひて井のあたり行き交ふ、その傍らに咲きたるかたくりの花、動きありて、素朴にして可憐なり。などとまづ考ふるも、注釋書繰るに從ひ、我、己が淺薄を知る。選びたる二首、とりわけ四一三九、多くの書名歌として取り上ぐ。語釋、解釋多岐にわたり、詠まるる背景考察微に入り細を穿つ。上代萬葉集研究、多角的かつ深奧なり。
 彼の二首における諸問題、關せる議論、眞に興味そそらるるもの多けれども、我が主たる興味は娘子の正體なり。四一三九、娘子を家持が妻、大伴坂上大孃といふものあれば、ただの少女、さては幻といふものもあり。四一四三の娘子においても同樣に論あり。枕詞「もののふの」より國司の女官、越中の田舍少女、こちらも幻といふあり。
 家持の心情、情景、今となりては本人に確かむる術得べからず。されど三十一文字に詠みこまれたる言葉、單なる記號に非ず、萬感の思ひを吹き込みたるものなれば、拙くとも一つ一つを讀み解くべしとて、我、今、上代の春に思ひを馳す。
(お茶の水女子大學 言語文化學科三年)


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