文語日誌
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文語日誌(平成十一年十一月二十五)
     
                  根本友利繪

プチ斷食  
平成二十一年十一月二十五日(水)




 十一月廿日より廿四日まで「プチ斷食」を試みる。切掛けは讀賣新聞の記事なり。或女性記者、兵庫縣の「五色縣民健康村健康道場」に五泊し斷食す。日に三度百キロカロリーの飮料を攝り、醫療檢査や體操、自己分析をする外は自由に寛ぐとの事なり。
 抑々斷食何の效ありや。同紙に據らば、飢餓状態に陷れる身體、生命維持機能を總動員す。副腎皮質ホルモン、筋肉より腦のエネルギーたる糖質を作出し、他方、自律神經系、腹部の脂肪を分解し他臟器要するエネルギーを確保す。此結果、内分泌、代謝、消化器系等の疾患更には精神的病の改善せらるる可能性高しと云ふ。
 我斷食せし動機は、斯かる健康效果を狙ふに非ずして寧ろ自己の耐久能力への興味にあり。計畫に「プチ」と名付くるは、完全なる絶食に非ざればなり。朝にカップスープ一杯、晝は野菜ジュース一罐、夜はココア一杯、他幾粒かの飴玉を口にす。合計して約四百から四百五十キロカロリーにて、自らの基礎代謝量の略半分なり。
 實行は何時白旗を擧ぐる時來るかと半ば自嘲し過ごす。然れど其時遂に來ず。飢餓感に苦しむ事全く無く全日程を終了す。精神状態も總じて良好なり。(只、上腕や大腿の張り失はれ筋力衰ふる感有り。)若しや怯懦なる精神打破せるかとの念浮かべど、恐らく原因さに非ずして環境にありと思直す。我五日を通じて安眠するを得、氣を紛らはす手段あり。畢竟餓死の心配無し。同じき空腹なれども戰中の生活ならば如何と不圖思ふ。住慣れぬ異國の戰陣、或は晝夜問はざる空襲の恐怖に日を送らば、果たして幾日命を繋ぎ得ん。甚だ心許無し。
最終日の夕、翌日の朝餉に備へ炊事場に立つ。斷食終了後は脂質少なく蛋白質、糖質を主とする「囘復食」を攝取すべき旨是亦紙上にて知る。偶々見つくる小豆を煮、他には雜炊を作る。米研ぐ手觸り、蔬菜を刻む響き不思議と懷かしく、立上る蒸氣の香、小豆の煮汁さへ五臟六腑に沁渡る。萬事に心改まる思ひす。今迄何を「味」と思ひ生きたるか。面白半分にしたる斷食の終りに、恥づかし乍ら初めて食の有難味を實感す。
「日常茶飯事」こそ、樞要なる營みと知れ。

(後記)此の事茶苑にて發表せるに、愛甲次郎先生より御誡賜る。斷食は醫師の指導
の下行ふべく、妄りに爲さば健康を害ふ虞あり、と。我が斷食の如き輕擧愼まれ度し。
(お茶の水女子大學 文教育學部 人文科學科 三年)


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