文語日誌
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文語日誌(平成十一年十一月十七日)
     
                  根本友利繪

足尾史料調査に參加す  
平成二十一年十一月十七日(火)




 十五日より二日間、我がゼミの教授數年前より携はる足尾銅山の史料調査に參加す。參加者はゼミ院生二名と學部三年生四名なり。栃木縣日光市、足尾銅山地域一帶の世界遺産への登録を目指し、學術的裏附の爲、我がゼミの教授と手を結び調査を行ふ次第なり。 足尾銅山十六世紀末より採掘せられ、江戸時代初期以降幕府直轄となる。徐々に産銅量減少し廢鑛同然となるも明治政府に引繼がれ、明治十年古河市兵衞買收せり。以降彼の積極的開發方針により最新技術導入せられ、三坑を開鑿、以後日本の産銅の約半分を生産す。大正五年には一帶の人口約三萬九千人に達し活況を呈す。其の後戰前戰中の無計畫なる掘削の結果産銅量激減し、昭和四十八年閉山に至る。
 十五日、初參加の四名は日光市教委の案内の下、事前學習及び觀光を行ふ。翌日は嘗て精銅を行ひし現古河電工にて調査濟史料を袋詰す。先輩方の二年前より取組みたる作業の最終段階を手傳ふ。漁夫の利を得るの感ありて申し譯無く思ふ。
 足尾銅山と云はば、教科書は第一に公害・社會問題の側面のみを取上げ、状況改善を訴へし田中正造を反公害の象徴的存在として稱揚せるが如し。我寡聞にして此迄かかる負のイメージのみにて足尾銅山を捉へをり。
 然れど今囘の經驗を通じ認識變化す。勞働者住宅を見、煙害等に苛まれ乍らも人々折合ひをつけ強く生きたるは閑卻出來ぬ事實なりと感ず。又、會社側も住民の訴へ・國の求めに應じ公害對策を行ふ事、一般に余り認知せられざるか或は意圖的に無視せられたるかとも見ゆ。(明治三十年の鑛毒豫防工事命令布達以降、古河、排水用淨水場・脱硫裝置等當時最新の設備を導入す。生産停止後現在も其一部稼働し舊銅山を管理す。)更に、古河の多角的經營、日本の社會・經濟に多大なる影響を與へたり。一例を擧ぐれば、鑛工業部門は古河機械金屬・電工・富士通が、金融・銀行部門は朝日生命・みずほ銀行が引繼ぐ。即ち、足尾銅山と古河は素材産業たるのみならず多方面に於いて日本の發展に貢獻す。
 同地には、採鑛・選鑛をなす鑛業所、製錬・硫酸處理をなす精錬所、精製をなす電氣精銅所等生産基盤を始め、電力施設・除害設備・福利施設も姿を留む。一連のシステムとして現代と強く結附く生ける近代化遺産に大いに魅力を感ず。今後も機會あらば是非學びに行かむ。


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