文語日誌 |
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文語日誌(平成二十一年七月十三日) 根本友利繪 『シンデモラッパヲ』を讀みて 吉村昭氏の戰記小説集を讀み、『シンデモラッパヲ』てふ作品に出會ふ。かねてより氏の小説を讀みたるが、題材とせる事件何れも歴史上重大なれど主人公英雄に非ずして、名も無き個人の埋もれし物語を淡々と活寫する手法は見事なり。此の作、我の今迄讀みし彼の短編中最も鮮烈なり。 概要を簡單に紹介するに、是の物語は日清戰爭緒戰の成歡の戰に於ける二人の戰死者をめぐるものなり。開戰後約一ヶ月を經る或る日、岡山縣淺口郡 休戰條約締結に至り國内沸きに沸き、船穗村の白神顯彰熱も高まるの折しも、第五師團司令部、かの喇叭手は白神に非ず、木口なりと發表せり。かかる誤認生ぜるは、出身縣・所屬大隊・戰死地・戰死日全く同一、更に共に喇叭手なればなり。船穗村より異議出づれども美談の主人公木口に替り、白神次第に忘れらる。木口成羽村の英雄となるのみならず、職務への忠實なる精神を説く例として『修身教科書』に掲載せられ其の後記憶に留めらる。 白神自ら望まざるに死後稱揚せらるるも、事實誤認とて世人の記憶より消ゆ。然れど、記憶にも殘らざる無數の人間の歴史を織り成せる事、我も亦死後如何なるや皆目解せねど、この世の歴史の末端にあるを思はしむ。かかる事ども徒然思ひ續くるに如何ともし難き感に襲はれ思考停止するが我の常なりしかど、生ある内は立ち止まるべからず、日々自己變革せば何時死にても死後如何なるとも良からむと思ふ此頃なり。 |