文語日誌
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文語日誌(平成二十四年十二月十七日)
     
                  兒玉 稔

BGM必要なりや



 我通ふスポーツクラブ、館内に音樂絶ゆることなし。そのかみにては、ラップと稱し、外國語を旋律殆ど無きまま喋り續け、それにリズム音を添へたるもの、延々、延々、と垂れ流す。ベルト歩行などに專念の最中はまだしも、終へて後、風呂にて手足伸ばし氣分散ずる時にもこの早口臺詞、頭上なる擴聲器より浴びせらる。ほとほと耐へ難くして不愉快極まりなし。我、ご意見箱に改善を匿名投書すること數多度になりぬ。
 やがて廊下に掲示現る。曰く、「館内音樂に對し意見あれど嗜好趣味は多種多樣。逆にラップ希望の向きあるを理解されたし」と。
 我、以下を再投函して反論す。「公衆施設は、不快の者居らざるを第一義とすべし。一部の期待に應へむとして他の不快を買ふ策は愚。例へば、いはゆるイージーリスニング音樂なれば萬人向きとされ、或は特に好む者少なしとするも、不快覺ゆる者また僅少なるべし。よつてかかる音樂流すべし」 その效ありてかは知らねども、以後、ラップの頻度いささか減じたり。
 重ねて、我いつの日にか、抑、館内に音樂必要なりやを問ひたし。學生の頃、西洋古典演奏團體に屬したる身、音樂を好むこと人後に落ちずと言へども、何處にても四六時中音樂流すを良しとせず。
 去る十二月二日朝、中央高速道の隧道天井落下し、通行中の自動車を破潰す。同日夕刻のテレビ、朝より續く救出活動の有樣を時系列にまとめて報ず。アナウンサーの聲に重ね、悲しみの音樂流る。陰鬱なる調べ、被害者既に死せるものと決め附けたるものの如し。事實はこの時、洞内自動車の中より携帶電話にて助けを求めし人の生死、なほ不明なりき。
 ニュースは事實を傳ふべし。事實をありのままに淡々と傳ふべし。ドラマ仕立てにせむと背景に音樂を用ゐ、視聽者に同情を強ふるは無用。況やこの時、被害者が生死、未だ分明ならず。音樂垂流しを良しとするテレビ局擔當者、かく深刻なる事態にも效果音樂無くば不十分と思ひたるにや。彼等こそ生存への期待持ち續くる家族、救出作業者が此の時點此の音樂聞く不安知らざるべからざれ。この場合、效果音樂無しに事實のみを報道すべし。。
 諸外國の事情詳かならざれども、我國の公共施設、觀光地、小賣店、宿泊場所等に於けるバック・グラウンド・ミュージック垂流し状況、改善あらむことを願ふ。


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