文語日誌
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文語日誌(平成二十三年一月)
     
                  兒玉 稔

船旅の樂しみ



 拜啓 良き新年をお迎へのことと存じお慶び申上候。


 偖、船の旅は退屈ならずやとのお尋ねなれば昨秋の乘船につき些か御説明仕り候。


 まづ、陸に寄る日は下船して觀光等致すが普通なれば、退屈無きこと御分り下さるべく候。されば、終日船上に在る航海日(シーデイ)の樣子を申上候。今囘のシーデイは全旅程のほぼ半數、五囘に候。


 かかる日は、一言にて申さば、食ふ或は食ふための努力に忙く退屈を覺ゆる暇あり申さず。


 この船、客三千人に耐ふる規模なれば七箇の食堂をその用に供し候。有料なる特別食堂を別にせば、いかなる料理をいかなる數量食せども無料に候。中にはブッフェなる?み取り食堂ありて短時間に食したき向には重寶に候。此處は二十四時間開き居り深夜にも食すること可なり。席五百を數へ候。


 我々夫婦がシーデイに常に利用せしはメインダイニングルームに候。千三百人が一齊に會食する大食堂にして、特に夕食は早番、遲番の二囘制なり。その開始時間に合せ著席。樂士奏する音樂と給仕扱ふ食器の音が高き天井に響き、室一杯に配置せらるる卓に正裝の西洋人各々數名づつ集ひかつ喋りかつ笑ひかつ食ふはなかなかの壯觀、また隨分喧しきことに候。


 數多の給仕忙しく立動けども客の數また多くして此處での食事は大ひに手間取り候。朝、晝は一時間、晩餐は二時間要するを覺悟せざるべからず。無料なればメニューには値段の欄無く、財布中身の心配せず氣の赴くまま料理を選び得候。これ甚だ愉快に候へども今、省るに表示無かりし價格を無理に推し量り、食ひたきよりも高價らしきものに偏りて注文せること無かりしとは言へず。庶民の本性顯れたることよとお笑ひ下さるべく候。


 腐心すべきは次の食事までに如何に腹を減すかに候。甲板一周六百餘メートルを速歩にて十周、ジムの器械を用ゐて運動、その他小さきプールでの水泳を日課と致し候。汗をかき風呂に入りベランダに出て海風に當り、服裝を整へ船内各所の寶飾店、服裝店、土産物店など散策するうち次の食事の時間至る次第に候。


 航海日には手藝教室、ダンス教室等各種文化クラス相催し、カジノ、繪畫競賣會その他行事も數多あり。これらに參加の客は毎度大食堂へ出向く時間これ到底無くして、ブッフェにて素早く食する樣子に候。


 我らの如く文化活動を横目に、ひたすら食ひ、運動にて腹減らし、また食ふも船旅の樂しみの一と存ずる次第。なほ、退屈に備へ持參せる文庫本數册は殆ど讀まずに歸國致し候。他方、食過ぎ用に攜帶の胃藥は頗る役に立申し候。


 航海終りて下船のとき妻が、良き思ひ出胸一杯の旅なりきと申しけるが我輩には腹一杯の旅にて候。


 寒さ嚴しき折、ご一統のご健康をお祈り申上候。姉上樣にも宜しくご傳聲のほどお願仕り候。


敬具


平成二十三年一月十七日

兄上樣
 稔


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