文語日誌
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文語日誌(平成二十二年十月十三日)
     
                  兒玉 稔

取調の録畫



 檢察不祥事ありて、取調室の樣子録畫すべきや否やの議論一層喧き折、二十餘年前の海外出張思ひ出づ。
  カナダのある空港にて入國審査いつもの如く濟み、荷物檢査に向ふ。過去には何事無く素通りの箇所なれど此日、係官の無作爲抽出に當りたるにや、荷を開くこと求められたり。
  この時の用務長期間を要せば、會社醫務室が準備せし風邪藥胃腸藥睡眠藥、錠劑粉藥相當量荷の中にあり。係官、中なる粉藥を取出して開包、一瞥して顏色改め、鞄に蓋して自分に續くべく示しぬ。
 彼に隨ひ狹くかつ長き通路を歩めば、兩側は個室ならむ、等間隔に數多の扉見ゆ。その一を開け彼と入る。窓無く天井低く四面白き壁にて、正しく大なる直方體の箱に入りたる感あり。簡素なる机椅子の他、調度備品これ一切無し。
 時を移さず別の男入室す。この大男椅子に著きざまゴツンと音させ何物かを机に置きぬ。腰より拔きたる銃なり。かく間近に本物の銃を見ること嘗て無く、その黒き重量感に怯えたり。
 係官はかの粉藥を麻藥と判斷したるらし。處方箋見せ説明すれども日本語文字なれば彼等解せず。我旅券の東南アジア諸國歴訪印、疑念増幅の體あり(當時、タイとその周邊國の麻藥栽培、世界の耳目を集め居たり)。
 問答暫しの後、やおら一葉の厚紙手渡して讀めとの仕草あり。「貴殿の權利」「辨護士云々」の語見ゆれば尋問、新なる局面に入ると知り緊張の度高まる。紙上の英文難解にて直には理解能はざれども、敵意顯はなる聲にて「讀み了へしか」「讀み了へしか」の連呼あれば「イエス」言はざるを得ず。
 彼等「立て」、立上がれば「靴脱げ」これ遁走を難からしむる爲ならむ。靴脱げば足裏にて牀冷く、容疑容易ならざるを感ぜしむ。續きて「靴下脱げ」の命あり。これ何の故にか知らざれども、命に從ひ靴下脱げば、足の裏愈愈冷く、ますます以つて緊張す。
 「壁向け」に其方向けども彼等諒せず。壁に突當るまで背を強く押し、裸足の爪先、腹、鼻の先さへ壁に接せしめ、剩へ兩腕捧げて掌を壁に著く姿勢強ひたり。無樣。腰痛し。この時兩目に見ゆるもの目前の五センチ四方の白壁のみ。壁あまりに近くして目の焦點合はざりき。室内の彼等何をし居るか見當だにつかず。
 突然、脇腹に感覺あり。大男の無骨なる手指なり。次いで全身を弄る。これギャング映畫にてポリスがなす凶器帶同檢査なるべし。
 今、この密室に居るは彼等と我のみなり。若しかの銃にて背後より腦天に彈を撃込み「小癪なる日本人抵抗したれば射殺せり」と説明あるも異議唱ふる者とて無し。我を生かすか殺すか彼等が意の儘と思へば恐しさ言ひ樣無く、齒ガチガチ鳴る。體、壁に貼附き窮屈極りなけれども、身動きするは危險と思ひ耐へ居れり。
 やがて、凶器有せざること知られ、他の荷物にも疑問なければ、藥のみ化學檢査のため沒收せられ、この日は解放さる。
 いづれの國にても取調は密室にて行ふ。その場に居らざればその樣を知る術無し。室内にて官憲が被疑者殺せども、死人には口無ければ都合良き説明如何樣にも可なり。
 取調室の録畫に贊成すること大なり。                         


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