文語日誌 |
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文語日誌(平成二十二年三月十九日) 兒玉 稔 オリンピック競技への國費補助 我がふるさとに、秋の祭の日、地區對抗村相撲ありき。老若男女農作業を休みて集ひ、筵に坐し、かつ飮みかつ喰らひ、おらが村の力自慢を應援す。なかなかの賑ひ、古代オリンピックの發祥もかくやとぞ思ふ。 しかるにバンクーバーオリンピック中リュージュなる競技あり。等身大の橇に選手仰向けに寢そべり、長く屈曲せる氷のコースを落下、速さを競ふ。巨大滑り臺と言ふべきコースの幅、橇一臺分なり。豫め定めたる順に従ひて滑り、時計に頼りて勝負を決す。滑り臺設備の大仕掛なるに比し出場選手多からず。 このリュージュ、オリンピックの種目として妥當なりや。今次我國選手役員五人の派遣を國が補助す、妥當なりや。 この競技盛んなる國もありと聞けばスポーツたる資格なしとせず。但し、日本にてこれをし、これを見て樂しむ國民未だ少なかるべし。また敢て競技人口増加を圖り先行投資すべき格別の理由ありと思へず。 より速くより高くより強く、こは五輪憲章に言ふオリンピックモットーなり。その原點は先の村相撲の如く、する者見る者みなが樂しみ、貧しき田舍の村にても競技し得ざるべからず。殊更なる設備用具を要し、或いは時計その他の機械なくては勝敗決め得ぬものは五輪種目として不適當ならずや。即ち、駈けつこ、幅跳び、玉投げ、力比べなどがオリンピックの原點たるを今一度想起すべし。 他にも往時のオリンピック精神より逸れたる種目枚擧に暇なし。これらを國が支援する論據いづくにかある。 我はリュージュに恨み無くこれを好む人に異を唱ふる氣更更なし。寧ろ一度試たしと思ふ。仰向に寢て青空を見つつ長き滑り臺を滑る、定めし愉快ならむ。ただ、國費無用とのみぞ思ふ。 |