文語日誌
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文語日誌(平成二十二年二月)
     
                  兒玉 稔

 内視鏡檢査に思ふ



 厭はしき年中行事數多あれど胃カメラ檢診はその最たるものなり。かつては急用を理由に延期を重ね遂に逃切りたることも屢あり。

 檢査着に着替へ狹き診察室の寢臺に身を横たふれば醫師、我が咥ふるマウスピース中央の穴より細く長き管を差し入る。その先に小さきカメラ附く。管、喉、食道を經てうねうねと胃に至るを惡感の進み具合にて知る。

 醫師管の根本を操りそが先端にて我が胃袋内部をかき囘す。管の先胃壁を押し、ここかしこ痛し。思はず呻き聲出づ。カメラ、胃袋の中空を漂う時は痛み無し。されど己が臟腑の内に外界と繋ぐ異物蠢く不快、言はん方なし。涎沸き出づるも嚥み下すこと禁ぜらるれば口の端より絶間なく垂れ、看護婦(師)頻りに紙でふき取り呉る。

 ふと見るにこの看護婦、我が涎の始末の他になすこと無し。涎拭ふ手は働けども別の手所在無げなり。この空き手にて我の手を優しく握り呉るれば如何。然あれば女性に手握らるる機會乏しき身ゆゑ心踊りカメラ飮む苦痛頗る紛るべし。これこの病院が規則とせば一轉、年毎の胃カメラ檢査待遠しくなりぬること必定。

 不謹愼と言ふなかれ。患者の苦痛減ずるこそ醫療從事者が使命の一なれ。他になすこと無き手ひとつを差伸ぶるは、新なる支出を要せずかつ效果甚大の良策なり。かく人間味溢るる檢診の重要なること誰やら斯界專門家の言にあるべし。たとひあらざるともいつの日にか誰か屹度言ふに至らむ。

 擔當の看護婦若からざる時、苦痛輕減效果薄しとの懸念は當らず。彼らは顏隱すほどに大なるマスク著用しをればいづれも若く美しと信ずること可なればなり。
 


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