文語日誌
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文語日誌(平成二十一年五月二十八日)
     
                  兒玉 稔

 我4月中旬、社用にてバンクーバーに赴きぬ。



 空港よりタクシーにて街に入れば、高層ビルの角々に桜の木々見ゆ。をりしも満開なり。花の種類、色は東京のものと同じらしう思はる。東京の桜を楽しみし後、また異国の花を見るは幸運といふべけれど何がなし我が琴線に触れず。木々の配置あるいは枝の手入れにわづかなるちがひあるらむ。



 バンクーバーはブリティッシュコロンビア州第一の都市なるが、そが州の首都はビクトリアなり。ビクトリアにも回るべき用向き不意に生じたり。直通バスにて三時間余も要すと聞き及び、行かずとも良き口実探せども良案なし。不承不承、バスに乗りたり。



 夕刻発の便なればすぐ暗くなり、夜をひた走る。一時間の後、港と覚しき場所に着く。バス、闇の中の短き橋をゆるゆる渡り、倉庫の如きものの中に入る。



 停車の後、運転手エンジンを止めバスを降りる。続きて乗客全て下車の様子なり。我、何ゆゑの下車なるか不明なれど皆人に倣ふ。隣り合ひて停まれる別のバスやら大型トラックやらの隙間を巡り歩き、狭き階段を登りに登り、漸くにして視界開けたる場所に至る。ここにて得心せり。我は巨大フェリーの甲板にあり。



 清潔にして余裕ある造りの気分良き船なり。十カナダドルを払ひて特別室に入りたれば、心地更に豊かなり。?



 船、一向に動かず。遅れし客を待ち居るものかと訝りつつ時を過ごし、やがて甲板に出でて驚きぬ。早や対岸の灯、間近に見えたり。海静かなる故か、船大なる故か、些かも揺れず。航行すとはとんと気づかざりき。



 船底のバスにまた乗る。フェリーから陸に移り、更に闇を行くこと一時間にしてビクトリアに着きぬ。翌朝散歩すれば緑多く、波止場には野生アザラシの姿を見る。こぢんまりと佇む美しき町と知る。高齢の日本人移住者も多しとぞ。



 ビクトリア市は大きなる島の南端にあり。同市は、カナダ米国の国境線をそれなり延ばさばむしろ米国の側に位置すべし。国境線商議の頃、島全部を取りたかりきカナダ人、州都をこの辺境の地に移動。首都あるを理由に米国の譲歩を得、首尾よく国境線を曲げ、今島まるごとカナダの地なり、と言ふ人あり。我、この説の当否を未だ知らず。
 


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